| 海津城から望む尼厳山 2007.8.16 |
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| ●謙信は、千曲川右岸を遡り、可候峠(ソロベクトウゲ)を越えたと云われています。 可候峠は、海津城脇から金井山脇まで流れていた千曲川を迂回するために作られた谷街道の重要な峠で、可候の草書体のようにくねくねと曲がっていたから、そう称されたといいます。 後に鳥打峠ができてからは廃れたそうです。 尼厳城(雨飾城)は、村上義清の配下であった東条氏の城で、東条城ともいわれます。後に武田勢によって攻め落とされ、真田幸隆・小山田備中守昌行・在郷集により守られました。 寺尾城と金井山城は、村上氏配下の寺尾氏の城ですが、砥石城攻めに際し、村上氏に反旗を翻し武田方についています。 後の上杉景勝の時代には、再び東条氏が治めています。ロッククライミングの名所もあり、大変険しい山城です。 |
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