千曲川堤防から望む斎場山(旧妻女山) 2007.8.13 
●現在、国土地理院の地形図に記載されている標高411mの「妻女山(さいじょざん)」は、江戸時代以前は「赤坂山」といい、本来の「妻女山」の支尾根にある頂です。本来の「妻女山」は、それより15〜20分ほど南西に登った、標高513m*の円墳(斎場山古墳)のある頂です。西の支尾根に標高437.7mの「薬師山(笹崎山)」があります。妻女山は、往古「斎場山(さいじょうざん)」といい、「祭場山」となり、後に俗名「妻女山」となりました。
 明治時代の村の記述などでは、「斎場山(妻女山)」を中心に、両側に広がる「薬師山」と「赤坂山」を含めて「妻女山脈(斎場山脈)」という記述も見られます。「大嵐の峰」とは、「戸神山脈」のことで、「鏡台山」まで南北に連なり、東に西条、西に倉科の里があります。旧埴科郡は、「鏡台山」を中心として、その支脈の山裾に広がった地域です。埴科は、信濃の国の起源となった科濃(シナノ・シナヌ)の場所といわれています。
 写真の土口将軍塚古墳を含めて埴科古墳群は、平成19年2月7日に、国指定史跡になりました。今後、科濃の国の歴史が更に詳しく調査研究されることを期待します。
 陣場平は、写真矢印の尾根のさらに奥になります。狼煙山は、武田信玄が川中島合せんで狼煙をあげたとしてついた俗名で、本来は舞鶴山といいます。古史に高テキ山とも記されています。現在は、下のピーク白鳥山を舞鶴山といい、西条城跡があります。
 西条山は、西条氏の西条城にちなみ狼煙山をいうときと、西条村の最高峰・高遠山をいうときとあるようです。有名な軍学書『甲陽軍鑑』に妻女山と誤って西條山と記された大本の山です。軍学書であるが故に歴史的記述には間違いも多く(実際初めにそう断書きがある)、多くの歴史研究家に誤解を与えています。
 尚、「象山」は、象がふせた形なので本来は「臥象山」といいます。佐久間象山の名前の由来となった山なので、地元ではさくましょうざんではなく、さくまぞうざん、ぞうざん先生と呼びます。
★斎場山(妻女山)については、研究ページをご覧ください。上杉謙信の布陣図や武田別働隊の経路など。

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