千曲川堤防から望む斎場山(旧妻女山) 2007.8.13 
●斎場山が本来の妻女山。『國造本紀』に、「神八井耳命の孫の建五百建命(健磐龍命)を、第十代崇神天皇の御代、科野國造(しなののくにのみやつこ)に定め賜はった」と記されています。斎場山は、その科野國の重要な斎場であったのではないかとされているのです。
 武田信玄が、茶臼山に布陣しているときに、上杉謙信はここ斎場山古墳の上に床几を据え本陣としたといわれています。そして夜は右手に下った薬師山の薬師堂で休んだと伝わっています。斎場山を本陣とし、赤坂山から薬師山までを、謙信本隊が固め、下の赤坂、清野、岩野十二河原、笹崎などは家臣の部隊が布陣したといわれています。●上杉謙信妻女山布陣想像図(川中島謙信陳捕ノ圖) ●武田別働隊キツツキ戦法の検証
 信玄別働隊は、大嵐ノ峰、鞍骨山の向こう側の道を辿り、妻女山へ攻め込んだといわれています。

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