斎場山古墳から飯縄山を望む 2007.1.2
●長野市のシンボル、飯縄山(1917m)。川中島は、犀川によってつくられた扇状地です。遠く北アルプスから流れてきた土砂がたまり、いくつもの川と島をつくりました。
そのため川中島には、丹波島、青木島、真島など島のつく地名がたくさん残っています。犀川は、扇状地の扇の要にあたる犀口から、川は南東に向かって幾筋にも流れていました。
流れは、流量変化の大きい千曲川を南の山裾に押しつけるような形で流れていたわけです。現在のように流路が固定されたのは17世紀以降で、それまでは洪水の度に氾濫していました。
高い部分は、砂礫なので畑や果樹園に、低い部分は水田に利用されています。今は、市街地と化して平らに見えますが、終戦直後にGHQが撮影した航空写真を見ると、土地利用の仕方の違いが読みとれます。
現在は、住宅街などで埋め尽くされてしまった川中島ですが、高度経済成長以前は、水田や畑の中に点々と集落がある感じでした。
●戦国時代の日本の推定人口は、約1000万人前後。江戸時代は、約3000万人前後といわれています。戦国時代はこの風景の中に10分の1も人がいなかったことを想像すると、逆に当時の戦いの激しさを感じます。
古戦場には、八幡原七不思議というものがあります。「逆さっ穂(逆さ麦)」「逆さ槐(えんじゅ)」「胴合橋」「首塚」「松籟(しょうらい)」「古井戸」「藁人形(わらにんぎょう)」。武田が八幡原に本陣を構える際に打ち込んだ杭が成長したという逆さ槐。やっと見つけた山本勘助の首を流れてきた胴体と合わせたらピッタリと合ったという胴合橋。戦死者を葬ったという首塚(今は八幡原史跡公園の二つのみ。昔は川中島に散在していたといいます)。

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