岩野・戌の満水 2007.1.2
●「戌の満水」とは、寛保2年(1742)の大洪水(寛保2年がイヌ年だったためそう呼ばれます)。千曲川流域で2800人の死者をだしたと記録されています。岩野では、160人が亡くなったとされ、わが家の先祖も3人無くなっていると記録にあります。そのため大切な古文書が全て流失しました。保科正之に仕えて高遠から会津に移った我が一族の末裔が、江戸末期にルーツを調べた折りにも戌の満水によって系図、付宝の全てが流失してしまったという記述が残っています。系図は、幸い親戚に預けていた写しがありましたが。
 「戌の満水」に至る要因は、以下のことがいわれています。その年は暖冬で冬から雨も多く、菜種梅雨にも大量の雨が降り続きました。その上、梅雨前線と秋雨前線の活動がつながり、夏がなくなり2つのピークが連なったのです。あげくに台風が前線を刺激して大洪水が発生した、といわれています。
 当時松代城のすぐ脇を千曲川が流れていたため、松代城も甚大な被害を受け、城主も舟で命からがら逃げたといわれています。そして松代城(領民ではない)を水害から守るために、大規模な「瀬直し」が行われました。赤坂から関崎あたりまでの大規模な工事だったようです。幕府に城普請の許可を得るとともに、一万両の拝借金を許されました。そのことが松代藩の財政を逼迫させ、領民に辛苦を強いることになりました。また、雨宮の渡もこの洪水で流れが北に移動してしまい、消滅しました。
●薬師山については、「笹崎山薬師如来の縁起」をご覧ください。

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