妻女山(斎場山) その2 2007.1.2

●忠魂碑。戊辰(ぼしん)戦争以降の松代の戦没者慰霊碑。

●忠魂碑の裏から見る韮崎と岩野。千曲川の向こうは御幣川(おんべがわ)と会(あい)。正面の山の麓には、川柳将軍塚古墳があります。また、科野(しなの)最大の前方後円墳がある森将軍塚古墳群や、土口将軍塚古墳、倉科将軍塚古墳、有明山将軍塚古墳などがあります。いずれも埴科古墳群として、平成19年2月7日に国指定史跡となりました。古代「科野国」の解明が待たれます。

●日清日露戦争の戦没者慰霊碑明治44年5月18日社務所と共に建立。
 
●招魂社裏から見る斎場山(本来の妻女山)。昔は、招魂社の斜面にカシワの低木がたくさん生えていて、旧暦の端午の節句の前には、柏餅を作るために葉を摘みにきたものです。


●明治35年5月22日に登られたそうです。御遊覧所という文字が時代を感じさせます。ここも古墳のような地形です。土口村誌に赤坂山古墳とあるのはここかもしれません
 
●記念の植樹の石碑。大正7年4月1日に真田伯爵が清野小学校に二百円の寄付をされた折りに登山したという記念碑もあります。古墳上に植樹をしてしまったのでしょうか。松枯れ病で切られてありませんが。

●弘化4年(1847)の新潟の高田から長野、松本まで甚大な被害をもたらした善光寺地震の供養塔。嘉永二年(1849)建立。文は、松代長国寺住職、圭白師。なぜ善光寺から遠くここに供養塔があるかというと、松代藩はここが古代からの神聖な斎場であったことを知っていたからと町史には記されています。
 
●展望台。川中島の古戦場が見渡せます。いく千の尊い命がここで散っていったか想いをはせてください。ここは川中島八景のひとつ。妻女山秋月に挙げられています。あと七つは、茶臼山暮雪、猫ケ瀬落雁、千曲川帰帆、八幡原夕照、勘助塚夜雨、典厩寺晩鐘、海津城晴嵐。またここは、信州サンセットポイント百選に選ばれています。

●招魂社の表参道は、鳥居前から清野側へ下り、清野小学校の校門前に出ます。手水鉢もあります。清野小学校の敷地内には、縄文時代晩期から、弥生時代後期につながる四ツ屋遺跡があります。

●妻女山展望台から見るもうひとつの、というより本来の妻女山(本名:斎場山、妻女山は後の俗名)。右下に下る尾根の先端は韮崎
 
●東南には、清野氏の要害・鞍骨城があった鞍骨山(ほぼ中央798m)が見えます。 鞍骨城から見る武田別働隊の動き
●武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、1982(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂と云所に御馬を立てられ、・・・鞍掛山へ御上がり云々」『信濃史料』との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかとも考えられます。

●東方には、松代の城下。歴史の山、妻女山は、また第二次世界大戦とも無縁ではありませんでした。清野側には、松代大本営計画のひとつである長さ180mのト号倉庫(受信施設 )が計画され、65パーセントが掘削されました。忘れてはいけない歴史のひとこまです。

●岩野側へ下ります。正面に斎場山(旧妻女山)。道は狭く見通しの悪いカーブもあるので、車では細心の注意を。大型車は進入禁止です。麓から15分ですから、アイスバーンの冬は歩きましょう。

●上杉謙信矢尻之泉から上信越自動車道のトンネルの上を通って会津比売神社の裏手に出ます。猪かニホンカモシカの糞の臭いがしました。
 
●会津比売神社。祭神は、「會津比賣命(アイヅヒメノミコト)」です。『會津比賣神社御由緒』には、信濃の国の初代国造建五百建命の后なりとあります。また、諏訪大社祭神建御名方の次男出速雄命(クマノイズハヤオノミコト)の御子といことです。全国に同名の神社は無く、特異なお宮です。

元は山の上(御陵願平)にあった大きな神社だったらしいのですが、上杉方についたために、武田が北信濃を支配したときに焼き払われ、その後小さく山麓に再建されたという伝承もあります。
『日本三代実録』には、貞観8年6月甲戌朔条 (866)無位会津比売神に従四位下(じゅしいげ)を授くとあります。會津比賣神社御由緒
 
●左は蚕の神様・保食命(ウケモチノミコト)。養蚕が盛んな頃は、繭玉もまかれました。息子の後ろが「謙信鞍掛の松」。何代目かは知るよしもありません。春秋の祭には、神楽が奉納されます。昔は参道にたくさんの出店が並び、それは賑やかで子供たちの楽しみでした。
●1996(平成8)年、会津比売神社新社殿建立の折りに「妻女権現」と記された木札が確認されています。斎場山と会津比売の関係を示すものとして興味深いものです。

●「謙信鞍掛の松」の石碑。昔は右手の坂の中央に二抱えもある大きな松が生えていたとか。春秋の祭りの日、神楽は山側に大きく乗り上げて境内に入ったということです。奥に見える小さな社は、養蚕が盛んだった頃に建てられた蚕の神様。昔は繭玉がまかれました。
 
●「謙信槍先の清水」は、ここまでひかれています。上の本来の清水は、「上杉謙信槍尻之泉」といいますが、その先にあるので、槍先の泉という駄洒落でしょうか。謙信のというのは後世の創作でしょう。それ以前にも水は普通に湧いていたはずです。江戸後期には霊水騒動が起きています。現在は飲用不可となっていますが、昔は山仕事やきのこ狩り、山菜採りの渇いた喉をこの清水で潤したものです。ちなみに、私は赤ん坊の頃、この泉の水で九死に一生を得たことがあります。

●再び訪れるであろう「風林火山」の大騒ぎ。なにを思うか狛犬。踏んづけているのは我が子か餓鬼か? 右の狛犬は口を開け、こちらは閉じています。いわゆる「阿吽」ということでしょう。元は印度の獅子で、中国、朝鮮半島を伝って渡来したようです。高麗犬とも綴ります。アラハバキを祀る神社では龍だったり、戌神信仰のあるところだと山戌(狼)だったりします。
 
●境内にある「菅城公」の碑。江戸時代の寺子屋師匠、上原一郎太(1802-1893)の碑。筆塚といい師匠への報恩のために門弟によって建てられたもの。文武の盛んだった松代には、各地にあります。また、わが家の一部(現存せず)は、明治初期に岩野小学校の分校だったことがあります。

●「大成至聖文宣王」と掘られています。孔子のこと。

●会津比売神社の鳥居。昔はここに大きなイノミの木があり、その実で子供達は、イノミ鉄砲(いのみでっぽう)を作って遊んだものです。また、右手の坂は土口との峠から落ちる急な沢で、この沢をソリで滑り下ることができるのが男子の男子たる証明でした。

●参道から展望台を見たところ。高速道路によって削られた山肌が痛々しい。ブラジルの叔父も帰国した折りにこの景観を嘆いていました。
 
●韮崎にある参道入口の石碑と石灯籠。子供の頃、ここから斎場山へ直登したことが何度もあります。

●国史現在会津比売神社の石碑。式外社であるが六国史にその名前が見られる神社のことを特に国史現在社(国史見在社)といいます。後ろの枯葉はヤマコウバシ。

●川中島合戦の書籍では、長野郷土史研究会創設者の小林計一郎著の『川中島の戦 甲信越戦国史』が、現在最良の書と思われます。また、戦国哀歌川中島の戦い『甲越信戦録』岡澤由往訳・龍鳳書房刊もお薦めします。江戸後期、文化七年(1810)以降に、信州は川中島地方の者によって書かれた著者不明の書です。いわゆる史書ではなく戦記物語です。それ故史料としての価値は低いのですが、里人の視点から書かれたこの書は、読み物としては非常に面白く優れたものです。元は、徳川家光が上杉家に書かせたものです。
 
●芭蕉句碑「秋日塚」。「赤々と日はつれなくも秋の風」両角吾仏の書。明治15年頃の建立。松代には、他に三箇所の芭蕉塚があります。確か元は金沢で詠まれた句かと…。

●11:52 長野電鉄河東線踏切と国道403号線。ここが会津比売神社の表参道入口です。右手に松代名産の長芋直売所があります。
 
●仰ぎ見る妻女山(赤坂山)。★芭蕉塚について

●千曲川堤防より妻女山、鞍骨山、長尾根(長坂)を望む。★パノラマ山座同定408k 武田別働隊の経路について ノロシ山(西条山)について

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●上杉謙信妻女山布陣想像図(本邦初公開!)★榎田良長彩色『川中島謙信陳捕ノ圖』も初公開。必見!!

▲上杉軍斎場山布陣経路図・武田別働隊斎場山襲撃経路図 ★武田別働隊斎場山襲撃経路断面図
 
●妻女山周辺字図・地名図(地元ならではの情報)★地名解説など

●思うに坂上田村麻呂が征夷の帰路に賊を成敗し、清水庵地蔵堂を建て、木曽義仲が袖振先手観音を安置し、上杉謙信が会津比売神社を庇護したというのも、大本を正せば、斎場山古墳、土口将軍塚、旗塚と呼ばれる古墳群があり、往古信濃の重要な場所であることを知っていたからではないでしょうか。歴史的に重要な場所であることを、どの将も知っていたのだと思わずにはいられません。しかし、実は上杉謙信は古墳の上に床几を据えているし、武田信玄は薬師堂や会津比売神社を焼き討ちしているし、戦国の武将は、己の欲に溺れた罰当たりばかりですね。平成の世にもそういう輩が跋扈してはいませんか。平和であることを祈るばかりです。
■妻女山の真実については、★妻女山の位置と名称についての特集ページを、ぜひご覧ください。
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