妻女山奥・天城山下からの遠望 2006.12.31
●千曲川は、善光寺平に出ると北の犀川に押され、塩崎の先で大きく流れを東に変えます。昔は、雨宮の渡しへ向かって南に蛇行し、土口の横を通り笹崎かすめて横田神社の東へと流れていました。「雨宮渡(あめのみやのわたし)」は、現在住宅街のはずれで周りは畑ですが、江戸後期の蘭学者、漢学者・文人でもあった頼山陽(らいさんよう)の有名な直筆の石碑が建っています。雨宮の渡しを越えたのは晩秋、新暦10月27日。まもなく小雪も舞い始める頃ですから、謙信も攻めることを決めたのでしょう。武田は炊飯の煙で出陣を悟られたのですが、上杉軍は合戦のときには、一人に三食分を用意させたといいます。尚、千人窪は、地名としては清野の大里の奥にチゲ窪という地名が残っており、江戸時代の絵地図にもそこが千ケ窪と載っていますが、土口側という言い伝えもあり、両方共に多数の兵が隠れていたと思われます。

【頼山陽の詩碑】
鞭声粛々夜過河 暁見千兵擁大牙 遺恨十年磨一剣 流星光底逸長蛇
(鞭聲肅肅夜河を過る 曉に見る千兵の大牙を擁するを 遺恨なり十年一劍を磨き 流星光底に長蛇を逸す)

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