| 妻女山(赤坂山)より千曲川を望む 2006.12.31 |
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| ●左手の淡い色をのせたところが、時代は分かりませんが、千曲川の古い流れです。左の土地より1mほど低くなっていて、今でも深く掘ると流木などが出てくるそうです。川岸近くには弥勒堂が建っていたということです。また、深く掘ると犀川の白い土が出てくるところもあります。急流は、妻女山にぶつかり赤坂山に沿って流れたようで、40年ぐらい前までは、この下に蛇池(ヘビイケ)という池がありました。雷魚を釣りに来たものです。小学校での蛙の解剖にも。ここの蛙を使いました。 ●有名な寛保2年(1742)の「戌の満水」で岩野集落は160人の犠牲者を出しました。わが家の祖先も三人亡くなったと記録が残っています。その後松代藩により、大規模な瀬直しが行われました。それは松代藩の財政を逼迫させ、領民を困窮のどん底へと追い込みました。その時に川の流れを現在に近い位置に直したのだそうです。そして色のついているところから新たに畑の境を決めたので、そこを「川式」といい伝えられています。戦国時代は、もう少し右手に流れがあり、妻女山にぶつかるようにして、また北に流れていたといわれています。堤防のない時代ですから、実際はもっと広範囲に流れていたと思われます。写真左の茶臼山から続く尾根が消える辺りを犀口といい、そこから犀川の支流がこちらへ幾筋も流れ、川中島の扇状地が形成されたわけです。 |
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