妻女山(赤坂山)より茶臼山を望む 2006.12.31
●茶臼山のずっと左下には、森将軍塚、土口将軍塚と並ぶ川柳将軍塚があり、石川茶臼山と呼ばれています。写真の茶臼山は、有旅茶臼山南峰の一部で、長年に渡って土砂崩れが続き戦国当時とは山容が全く違うといわれています。見える北アルプスは、白馬三山辺り。戦国時代の日本の人口は、約1000万人前後といわれています。点在する集落と田畑以外は、ほとんど荒れ地であったと思われます。いざ戦が始まると、足軽の妻達は、夫が討ち取ってきた敵の首を位の高い武士に見せるため洗ったり、お歯黒をつけたりしたというおぞましい話もありますが、年寄りや婦女子は、戦が始まると山へ逃げ隠れして、じっと終わるのを待っていたということです。農民は地下人(じけにん)と呼ばれ、城や砦の普請に徴用されました。捕まれば敵の領民は、男は皆殺し、女子供は売り飛ばされたという話もありますから。中にはこの地を捨てたものも少なからずいたということです。千曲川の対岸は、武田信玄が布陣した会(あい)という集落です。

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