鞍骨城主郭より象山を望む 2006.12.31
●象山からこの鞍骨山へは、682.8mは巻いたとしても、相当に急峻な非常に長い尾根を登ってくることになります。馬を引き連れた大軍が短時間で移動できるような尾根ではありません。伝承では、武田の別働隊は、象山からではなく、西条の入から唐木堂越という鏡台山を通って坂城の日名へ抜ける当時の重要交通路を登り、右手森の平(鏡台山手前の広い尾根のことか)から戸神山脈へ、大嵐の峰(西条未の方、977.5mの山)を巻き、鞍骨山の南面を辿り、天城山を巻いて妻女山(斎場山)の脇より謙信本陣に夜討ちをかけるとあります。史実であれば、忍び松明での夜行軍は、さぞ辛苦の連続だったろうと思われます。私は、鏡台山の尾根上でいくつかに軍を分けて複数の進路を辿ったのではと考えています。戸神山脈へも複数の経路があったと思われます。
●地形図や航空写真を見ると、西条の入から鏡台山から北に延びる尾根に登った方が容易いことは一目瞭然です。西条から坂城に抜ける重要交通路があったとすればなおさら合点がいくというものです。まだ薪をとりに行っていた大正時代の地形図を見ると、西条から大嵐山の尾根に至る道が何本かあることが分かります。
●海津城から斎場山までのコースの全長は、おおよそ8km。その内山岳部は約6km。昼間でしたが、わが家の次男は8歳の時に「陣馬山-高尾山」20kmを歩いたことがあります。重い鎧を漬け、馬をひきながらとはいえ、平地なら普通に一日40kmは歩いた当時の人にとっては、この行軍は、私達が考えるほど大変なことではなかったかもしれません。また、山歩きをする方は分かると思いますが、尾根の反対側を行軍すると、その音は尾根を超えて反対側には届きません。鞍骨の南面を行軍すると斎場山からは、まずその音は聞こえません。今回も、尾根の南面に回ると猪駆除の鉄砲の音は全く聞こえませんでした。また、森も結構音を吸収するものです。それも、このルートを選んだ大きな理由ではないでしょうか。しかし、作戦そのものを見破られてしまっては意味がありません。

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