鞍骨山 その3 2006.12.31

●本格の西の端から東を見たところ。歴史マニアに人気のある戦国時代ですが、実際は、殺戮と欲望の渦巻くかなりおぞましい時代であったろうと思わずにはいられません。清野氏も絶滅を恐れて上杉方から武田方に主替えしなけれなければなりませんでした。純白の山頂は、そんな悲劇が無かったかのように静かでした。

●南西には、眼下に杏の里、倉科。その向こうの森の集落と4月上旬から中旬のひと目十万本の杏の花は、一見の価値ありです。森のあんずは、1681年、松代藩主真田幸道公の夫人豊姫が、伊予宇和島より輿入れ2本の杏の苗木を移植したのが始まり。右には鷲尾城のあった倉科尾根。「あんずの里情報」「あんずの里MAP★戦国の忍び

●北東には、象山と松代の城下が見えます。鞍骨城を築いたのは清野氏といわれていますが、また海津城も元は清野氏が倉を建てた処といわれています。★清野氏と清野屋敷・禽(とり)の倉屋敷・海津城
 
●少し右に目をやると、象山からこの鞍骨山へ至る急峻な尾根が。象山の先には離山があり離山神社が。鞍骨城を建てた清野氏が鬼門除として創建したものです。武田別働隊がこの尾根を登ったという歴史家がいますが、それはあり得ません。★武田別働隊の経路は?

●本郭の縁に立って「すごいところにお城を造ったね」と息子
 
●11:32 24分滞在で山頂を後にします。

●本郭下の狭い腰曲輪。つまり西側は、最上段の本郭の下に四段の段郭があります。
 
●南面には井戸または水の手と思われる窪みがありますが、中にニホンカモシカの糞がたくさんありました。

●帰路は南面を下ります。
 
●見上げる本郭の石垣。

●南面は、やや緩やかとはいえこの傾斜。崩壊による浮き石もあって気が抜けません。

●長い距離段差がないために慎重に下ることが必要です。不用意に遺跡を壊してもいけないので注意しながら。★510k

●このように既にあった岩も使って城郭をなしているように思います
 
●なかなか厳しい下りです。

●見上げる本郭下の石垣。善光寺大地震や松代群発地震にも耐え抜いた城郭。
 
●11:43 12分かかってやっと南面の巻き道に下りました。猟犬とハンターの足跡がずっと鏡台山の方へ続いていました。


●南面下には帯状の削平地が見られます。

 
●やや心許ない道を辿ります。父は、昔はもっと広いちゃんとした道があったというのですが、やはり山道は使われないと風化して次第に消えてしまうのですね。

●乾燥したキノコ。カワキタケの仲間?
 
●堀切。

●一段下の狭長な削平地から尾根の稜線に戻ることにしました。

●また見つけたウスタビガの繭、と思って周りを見渡すとあちこちにあります。

●尾根道を戻ります。武田別働隊も、この道を辿ったのでしょうか。
 
●鉄塔前の大きな堀切ふたつ。

●11:53 鉄塔の下を通過。
 
●鉄塔先の尾根は、イバラが多く、初夏以降は難儀しそうです。

●左手、倉科の竹尾地区に下りる尾根筋には作業道が。
 
●11:57 大きな堀を越えます。

●南面の雪はすっかり溶けてしまいました。
 
●笹藪の道に突入。

●やがて道は植林帯の中へ。

●12:05 二本松峠通過。

●ここから稜線ではなく、天城山の南面を巻く踏み跡をたどりましたが、倉科尾根へ下ってしまうので天城山へ直登しました。
 
●12:15 天城山頂。途中でものすごく獣糞臭いにおいがしました。犬に追い上げられた猪が恐怖の余り脱糞したのか…。

●本当にウスタビガの繭の多い山です。
 
●天城山頂からは、来るときとは違い西面を明聖砦へ向かって下ります。両親もこの辺りで、熊の糞を見ています。冬眠の時期以外は要注意の場所です。襲われないために、また無駄な殺生を避けるためにも必ず熊鈴やラジオなどを携帯してください。

●鞍部から天城山を振り返ったところ。右手に続く道を辿ると鞍骨城ではなく倉科尾根に入ってしまいます。尾根が十字に延びていて、天城山周辺が一番迷いやすい場所かもしれません。下る尾根を間違えると全く別の場所へ行ってしまいます。
 
●鞍部から明聖砦方面を見たところ。ここで右下からハンターが上がってきました。右下の林道に下りて下る旨を伝えました。堂平にいるハンターに無線で連絡してもらいました。少し話をしましたが、相当な数の猪が生息しているようです。

●林道を戻ります。左下にはハンターの姿が見えました。この下に上杉の軍勢が隠れていたのかも知れません。
 
●そのハンターがいた堂平。かなり広い緩い傾斜地ですが、ここも夏場は薮に隠れて見えません。堂平古墳群があります。

●天城山を振り返ったところ。

●なだらかな傾斜地はかなりの長さ続きます

●この林道は、昔は当然ありませんでした。上の山道と蟹沢(がんざわ)を結ぶ細い山道はありましたが。戦国時代はどうだったのか知る術もありません。ただこの水場は、非常に重要だったと思われます。
 
●右手のヤセ尾根は低くなり、尾根は平坦になります。やがて陣馬平が見えてきます

●12:50 陣馬平通過。
 
●古い桃の木とフキのたくさん出る場所があったことを思い出しました。40年前は桑畑も、まだたくさんありました。

●1:11 招魂社。★歴史・雑感
 
●妻女山(赤坂山)展望台より鞍骨山を望む。★鞍骨城

●妻女山(赤坂山)展望台より茶臼山を望む。
 
●妻女山(赤坂山)展望台より八幡原を望む。

●妻女山(赤坂山)展望台より松代を望む。★パノラマ714k歴史
 
●妻女山(赤坂山)展望台より妻女山古墳(左上のピーク)を望む。

●妻女山(赤坂山)展望台より千曲川を望む。★千曲川の旧流
 
●1:31 妻女山登山口に無事帰還。

●今回は長年の念願が叶う山行でした。実際に現地に赴かなければ分からないことも多々あります。いつか武田別働隊が登った西条の入から鞍骨山へ妻女山へと登ってみたいと思っています。鏡台山へも辿ってみたい。後で聞いたのですが、30、31日と害獣駆除が行われ、なんと猪40頭も捕れたそうです。かわいそうな気もしますが、元々は雪深いこの辺りにはいなかった動物ですし、里の甚大な被害を考えると仕方ないのかもしれません。
 
●鞍骨城へは、今回のルートの他に、妻女山から林道倉科坂線を歩き、清野大村の林正寺横からの倉科坂を登り二本松峠経由で登る道と、同じく清野大村から尾根上の鉄塔付近に至るルート、倉科の竹尾地区から二本松峠経由で登るルート、象山から登るルート(ルート一部不明)などがあります。いずれもしっかりした準備・装備が必要です。
●妻女山(斎場山)についての詳細は、07年1月2日のフォトルポをご覧ください。
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