鞍骨山 その2 2006.12.31

●尾根道は右へ続いていたのですが、それてしまうと思い尾根の稜線を行くと笹藪に行く手を阻まれました。

●それでも強引に進みながら右下を見ると、ちゃんと道があるではありませんか。さっきの道をそのまま辿ればよかったのです。

●道は尾根の南面を、ほぼ水平に通っています。
 
●雪も溶けてうららかな景色。

●10:33 やがて道は、尾根の稜線に戻ります。この辺りは、北面は植林帯、南面は日当たりが良すぎてキノコは出ないそうです。今では、木山(薪や薪、落ち葉などを取りに山に入ること)もしないので、山道が廃れてしまうのです。こんな山に登るのは、ヤブ山好きか、歴史・城マニア、ハンターぐらいでしょうね。いずれにしても夏場はイバラが繁茂するので、相当難儀するでしょう。
 
●10:35 すぐに深さ6mはあろうかという、別名「駒留」という堀切。こんな堀があったら馬で駆け抜けるというわけにはいかないでしょう。

●堀の底から南方を見たところ、
 
●階段状になっていますが、かなり急です。

●なだらかな尾根の前方に、鞍骨山が姿を現しました
 
●左手には、奇妙山(1099.5m)が見えます。別名は、佛師嶽。

●眼下には、海津城(松代城)が。

●10:41 高圧線の鉄塔の下を通過。

●北には、遠く八幡原が見えます。鞍骨城の麓の清野は、明治末期から大正にかけて一世を風靡した女優「松井須磨子(本名:小林正子)」の出身地でもあります。「カチューシャの唄」の大ヒットとともに全国に知れわたる新劇女優となりました。越にある須磨子生家の裏山に墓地、大村の林正寺境内に「須磨子演劇碑」があります。松代の老舗和菓子店「角屋本店」には「須磨子夢幻」というほろ酔いになる日本酒ゼリーがあります。
 
すぐに連続してふたつの深い堀切がありました。

●やはり深さが5〜6mあります。
 
●ひとつを越えると、すぐに次の堀切が。

●鉄塔のすぐそばにあります。
 
●これだけ深い堀が連続しているわけですから、攻められてもそう易々とは突破できないでしょう。大村から登ってくる道があります。

●やはり急斜面で、雪もあって滑るために難儀しました。
 
●鞍骨城がだんだん近づいてきます。

●雪の中にウスタビガの繭を発見。

●堀を除けば、だらだらとした尾根が数百メートル続きましたが、少しずつ傾斜が急になってきました。右下、南面に細長い削平地が見えますが、城趾から一町(109m)離れて長さ三十間(54m)、幅五間(9m)の馬場跡があったといわれていますが、それでしょうか。

●海津城や象山が、よく見えます。
 
●10:52 手書きの「鞍骨城」の看板。

●待ちかまえる最初の急斜面というより壁がそびえ立っています。手前には堀切が。いよいよです。心が高鳴ります。
 
●堀切を超えて、高さ8mはあろうかという急斜面を登ります。

●登ると、奥行きがあり広く平らな曲輪(くるわ)が。
 
●かなり広く奥行きのある曲輪です。当時は、ここにも建物があったと思われます。

●ご覧の通りかなり広い平地です。身の軽い次男に偵察を任せます。父から南面が緩くて登りやすいとは聞いているのですが、彼はかかんに北面から攻めます。
 
●その曲輪から見上げる本郭。どうやって登ろうか…。

●北側の急斜面を登る息子。

●登るとまた平坦な曲輪が。

●後のふたりもなんとか登ってきています。
 
●息子が撮影した急斜面を登る私。足を踏み外したら十数メートルは滑落間違いなし。

●やっと見えたこれが本郭の石垣かと思ったら、まだ上がありました。
 
●その曲輪。やはり上に行くほど狭くなります。ここから息子は北面を登りましたが、私はとても登れないので南面にまわることにしました。

●さらに一段上の狭い曲輪に到着。左上には、やっと本郭の石垣が見えてきました。
 
●遠く天城城も見えます

●ここは、上からふたつめの曲輪です。
 
●ここから最後の狭い曲輪に登り、南側にあるという虎口を探します。

●南面の虎口へ。こちらが大手のようです

●思ったよりも広い頂上です。

●11:08 鞍骨山(798m)登頂!★清野氏と戦国時代
 
●東方には、一段高い土塁が。

●南方には、鏡台山(1269m)。★408k鏡台山と武田別働隊の経路と戸神山脈の考察。これは川中島合戦マニア必読!
 
●鞍骨山東へ続く尾根。西側よりヤセ尾根です。こちら側にも堀切が見えます。前方の頂は、鏡台山から続く尾根の先端です。南面に巻き道があります。

●鞍骨山南面には、鏡台山へ続く巻き道があり、父はこの道を通って10回以上鏡台山までキャンプに出かけたと話していました。現在よりもハッキリした道があったと言っています。918k鞍骨より鏡台山へパノラマ
 
●東端の土塁の上より見る本郭。西辺20m、南辺17m、北辺9.7mの不整方形の平地をなしています。★鞍骨城概要

●本郭から西方の段郭を見下ろしたところ。かなりの高度感があります。ここでお昼ご飯にします。明太子、数の子、梅干しのおにぎりに、野沢菜漬け、ヒジキとキノコの卵焼き、ソーセージの炒めもの。風もなく本当に快適でした。
●信濃の小領主であった清野氏は、村上義清の配下でしたが、天文二十二年(1553)8月、村上義清が上杉謙信を頼り逃れると、清野氏は、道寿軒と長子清秀が上杉方に、次子信清(清寿軒)は武田方にと、親子兄弟敵味方に分かれて戦いました。どちらが勝っても一族が生き延びるという苦肉の策でした。武田が滅びると上杉の会津移封に伴って清野を去ったのです。
このように信濃の小領主たちは、甲越どちらかにつくか、親子兄弟別れるかして、いずれにしても信州先方衆として真っ先に戦わなければならなかったのです。
 
●西方に見える天城山(てしろやま)。右手へ陣馬平、妻女山への尾根がのびています。
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