妻女山(赤坂山)展望台から北アルプスを望む 2006.1.1

●元旦にこんなにきれいに北アルプスが見えたのは近年には無かったような気がします。心が洗われるような青空でした。

虫倉山、陣馬平山は、奥に鬼無里村と戸隠村(現長野市)をかかえ、神話の山といわれています。九頭竜信仰や鬼女伝説、一説には古事記に由来すると思われる伝説が残る地域です。展望で人気の山です。

上杉謙信が陣を構えた、ここ妻女山〔当時は赤坂山といいました。本陣としたのは里俗伝でさらに上の斎場山(甲陽軍鑑で誤って西條山)、陣城を建てたのは陣場平といわれています。〕。
ここから武田信玄が陣を構えたという有旅茶臼山(茶臼山の左の山で、地滑りのため当時の山頂はない)までは、直線距離で約7キロ。
上杉の退路を断つというには、ちょっと広すぎる気もしますが、信玄は最初茶臼山に本陣を構え、その後山を下りて各隊を千曲川に沿って斎場山を包囲するように布陣したといわれています。
上杉軍は退路を断たれた訳ですが、謙信は動ぜず信玄がこのまま越後を攻めるなら、我らは甲州へ攻めればよいと言ったとか。
当時の千曲川は南の雨宮の渡から北へ大きく蛇行しており、茶臼山から妻女山へぶつかるように流れていました
。もちろん堤防はなく、川中島は洪水に見舞われると氾濫。戦どころではなかったと思われます。

また、寛保2年(1742)には、「戌の満水」(いぬのまんすい)という、千曲川流域で2800人もの死者を出した近世以降最大の水害がありました。
松代城は、千曲川を外堀にしていたため、甚大な被害がでました。その後大規模に川の流れを変える「瀬直し・瀬替え」が行われたため松代藩の財政は困窮、庶民は辛酸をなめたと伝えられています。
さらに、弘化4年(1847)3月24日夜4ッ時(午後10時)には善光寺大地震がおきました。岩倉山(信更)と犀口対岸の真神山が崩壊し、岩石が犀川を堰止め湛水量がまたたく間に増加。
地震発生から20日後、堰止めていた岩石・土砂が濁流となって一挙に流れ出し、川中島平に大きな支流を三つも作り、3日間にわたり千曲川に流れ込んだということです。
折り悪く善光寺の御開帳が開催中で諸国からの参詣者が多数集まっており、人員の被害をさらに大きくしたと当時の記録にあるそうです。
ただ松代藩は、避難命令を出しており、死者が大きかったのは以外にも山の近くの集落だったそうです。いつでも逃げられるという油断が悲劇を招いたのかもしれません。
戦国時代の史跡として有名な善光寺平ですが、また自然災害との戦いの歴史の場でもあるのです。
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