米子大瀑布 その2 2005.8.15


●左に権現滝、右に不動滝。

 
米子硫黄鉱山跡は、米子大瀑布を正面から見られる最高の場所です。


●雨雲に煙る米子大瀑布。

 


●権現滝。クリックで縦位置写真が拡大。


●初めは林道を奇妙滝へ行くつもりでしたが、雨が強くなってきたので東屋から戻ることにしました。この近くには、ウラジロシャクナゲの群生地があります。また、東屋近くの標識を南へ辿ると、浦倉山と根子岳へと続く登山道があります。いつか登りたいコースです。
 
●米子硫黄鉱山の小学校跡。こんな山中に1500人も暮らしていたとは驚きです。当時は、もちろん細い山道しかありません。滑車で荷物を里まで降ろしたそうです。須坂まで20kmの道を歩いて買い物や遊びに行ったそうです。


●標高1480mにある東屋と案内板。ここから駐車場までは、急斜面をジグザグに下りて900m、約15〜20分です。

 
●米子大瀑布と米子川をはさんで対岸にある一見場違いに見える人工的な台地は、旧米子鉱山の跡地。ここは米子大瀑布の絶好の展望台となっています。
 米子硫黄鉱山は、寛保3年(1743年)から始まったといわれています。交通の不便な深山の標高1500〜1600m付近にあるため、経営者は度々変わったようですが、昭和9年に中外鉱業株式会社が本格的な営業採掘を始めました。時代は、日清、日露、世界大戦を迎え、硫黄が爆破火薬の材料にされたため生産量が増え、月産1200tを生産し、鉱山関係者の家族1500人が生活していたそうです。毎日、この絶景を見ながら働き暮らしていたんですね。
 しかし、戦後、硫黄の需要が減少、石油化学工業の発展により年々縮小し、昭和35年に閉山されました。

鏡台山 2005.8.17

 別の日に、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた浮世絵『信濃 更科田毎月 鏡台山』で知られる千曲市の鏡台山を訪れました。といっても今回は峠の登山口まで。登頂は次回にとっておくことに…。
 鏡台山は、古今集に『わが心なぐさめかねつ更級や姨捨山に照る月を見て』(詠み人知らず)ともうたわれるように、中秋の名月の頃に姨捨山から望む月の出が、まるで鏡台から登るように見えることから名付けられた山だといわれています。
 しかし、姨捨山の田毎の月ばかりが有名になり、鏡台山は信州百名山にも入っていません。でも地元の古老に聞くと、遠足や行事で何度も足を運んだ親しみ深い山だということが分かります。現在は、千曲市森と坂城を結ぶ林道が舗装され、より登りやすくなりました。
 
●森の沢山にある女陰の滝。クリックで拡大。

●女陰の滝。クリックで拡大。
 


●滝の落ち口。


冬季は通行禁止。林業関係と工事車両が通るので、カーブでは必ずクラクションを。通れましたが今回も一部で道路の崩壊がありました。

 
●滝の向かいは大きな一枚岩。冷たい水が気持ちいい。

●登山口のある峠から北を望む。左は五里ケ峰へと続く林道。気温は26度。下界は33度。この直ぐ下には大きなブロッコリーの畑があり、農作業をしていました。
 


●登山口はヤブ。クリックで面白い看板が拡大。


●ミヤマフキバッタ。

 
●コオニユリ。

●コオニユリ。クリックで拡大。
 
●シラネセンキュウ。クリックで拡大。

●小さな鈴の音が聞こえてきそう。クリックで拡大。
 


登山口から見た鏡台山(左奥)。ここから約50分。クリックでパノラマ写真が拡大。510k
鏡台山へは、坂城側の和平高原から登るのが一般的で、登山道も整備されているようです。昔は松代町の妻女山や清野の鞍骨城跡、真田町の地蔵峠からも登ったそうです。


●山菜の山ですが月の輪熊の生息地でもあります。ニホンカモシカの足跡もありました。

 
●ヒヨドリバナ。

●キオンに吸蜜するのはヒョウモンチョウの一種。
 


●クサギ(臭木)クマツヅラ科。花は化粧の匂いですが枝や葉を折ると独特の悪臭がします。


●ヤマハハコ。クリックで拡大。

 
●キバナコスモス(黄花コスモス)キク科。


倉科への林道の分岐点に戻ってきました。谷が一番深いところです。熊が出没したので注意という看板がありました。

 
●谷の向かいの絶壁。

北を見ると善光寺平が見えます。茶臼山、虫倉山、陣馬平山、戸隠連峰が見えました。クリックでパノラマ写真が拡大。204k
 
一目十万本の杏で有名な麓の森集落に戻ってきました。クリックでパノラマ写真が拡大。408k

今年の北信は雨が多かったため、夏キノコがたくさん出ていました。ある低山を探したところ、ヤマドリタケモドキ(日本のポルチーニ・セップ)、アンズタケ、オニイグチがそこそこ採れました。今年はキノコの当たり年でしょうか。
   
松代象山地下壕

●保基谷岳の林道御林線を下調べに行った帰りに、子供達に見せておきたいと思い立って松代象山地下壕に寄りました。これは第二次世界大戦末期、軍部が本土決戦最後の砦として、当時で2億円の巨費と、約300万人の住民や朝鮮人を強制的に動員し、多くの犠牲者を出して作られたものです。戦後は忘れ去られていましたが、平和祈願の遺跡として平成元年から無料公開されています。
 
●案内図。クリックで拡大。
米子大瀑布 その1へ BACK PAGE

MORI MORI KIDS ■MORI MORI KIDS Nature Photograph GalleryI ■CAPINO CAPINO(C) in Tokyo Japan since 08.04.2003
▲ページのトップへ TO PAGE TOP