千曲川の堤防から望む根子岳と四阿山 2005.1.3

●根子岳・四阿山と保基谷岳の間に、菅平高原が広がっています。度々日本の最低気温を出す寒いところでもあります。
●尼厳山(あまかざりやま)781m。頂上に戦国時代に作られた尼厳城の跡がありますが、かなり荒れ果てています。
東条信広が築城したといわれます。1556年、武田信玄が上杉謙信との川中島合戦に備え、謙信側の軍事拠点である尼飾城を真田幸隆に攻めさせ、
援軍として春日正忠軍を投入、堅固をもって誇る尼飾城をようやく陥落させたということです。
北国街道の監視するために信玄の命によって改修され、厳重に警備をさせていたということです。
その後上杉景勝時代には、東条氏を再び入城させて海津城の外郭をなしました。
中腹には、神話の尼ノ岩戸の洞窟があります。整備された登山道はありません。ロッククライミングの岩場があります。
●奇妙山(きみょうさん)1099.5m。奇妙な名前の山です。昔はよく登ったそうですが、今は登山道は不明瞭です。
南西側に清滝という柱状節理の見られる滝と、信濃33番札所11番の清滝観音、阿弥陀堂があります。月の輪熊に注意。
写真でも分かるように、新地蔵峠のすぐ下から保基谷岳の登山口まで林道が通っています。菅平にも抜けられます。落石及び転落注意。
●保基谷岳(ほきやだけ)1529m。長野市(旧)で二番目に高い山ですが、飯縄山などに比べると登る人は少ないようです。
菅平と地蔵峠から林道で登山口まで入り、30〜50分ほどで頂上です。カタクリ、イワカガミなどの花と、善光寺平を一望できる展望が魅力の山です。
●皆神山(みなかみやま)660m。今から30万年前にできたとされる溶岩ドームの山です。溶岩の暑さは150mもあり、その下には湖の堆積物があります。
古代この辺りは湖沼だったようです。地下には現在も大きな湖があり、松代地震の際には、溶岩ドームの周辺で隆起・地割れ・湧水が見られました。
マグマのかわりに大量の水が噴出したので、松代群発地震は「水噴火」にともなった地震だったと考えられています。
頂上には、神社、畑、ゴルフ場、民家などがあり、車で行けます。頂上の窪地にある沼には、天然記念物のクロサンショウウオが生息しています。
この山を日本のピラミッドなどと唱えるマニアがいますが、確かに神話を思い出させる岩戸神社がありますが、山そのものは人工物ではありません。
晴れた日の頂上からの北アルプスは、絶景です。
●ノロシ山・狼煙山(のろしやま)843.9m・舞鶴山(手前のピーク)。武田信玄が、狼煙をあげさせた山として有名です。
麓には日本武尊等を奉った木製の白馬の像のある白鳥神社が。
また、山麓には第二次世界大戦中に大本営設営のために掘られた大地下壕があり、現在は地震観測所になっています。
●象山(ぞうざん)475.8m。戦国時代には、村上氏の配下であった西条氏の山城、竹山城(西条城)がありました。
麓には幕末の奇才、時代の先駆者、佐久間象山(さくまぞうざん)の象山神社及び記念館があります。
また、松代大本営地下壕の象山地下壕があり、無料で見学できます。
●妻女山(さいじょさん・さいじょざん)411m。第四次川中島合戦時の上杉謙信公の本陣として有名ですが、ここは本当は赤坂山といいます。
本当の妻女山は、写真の一番右の513mの頂。頂上には妻女山古墳があり、第四次川中島合戦では、上杉謙信が円墳上に床几を置き、本陣としたため床几塚、謙信台と呼ばれます。
古代においてこの妻女山は、古来神々を斎(いつき)祭る神聖な山という意味で、斎場山(さいじょうざん)と呼ばれ→妻女山となったといわれています。
麓には、三輪の神(大物主命)の子供の会地比古命の娘で、神八井耳神(神武天皇の次男)孫である建五百建命の妻の会津比売(あいづひめ)を奉った会津比売神社があります。(仮説)
そこで上杉謙信が妻女山と名付けたそうです。元は大きな神社だったらしいのですが、上杉方についたために、武田が北信濃を支配したときに焼き払われ、
その後小さく再建され、今は上信越自動車道の薬師山トンネルの妻女山口の脇にあります。
また、中腹の赤坂山には、維新戦争の折りに飯山城などで幕府軍の残党と戦った松代藩の戦没者を慰霊する招魂社があります。
外様大名だったためいち早く維新軍に参加したため、新政府には松代からたくさんの人材が採用されました。
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