松代城から見る妻女山 2004.8.12

●鞍骨城趾は、清野氏の要害。右へ一度下って支城・天城城のあった天城山(坂山)。
天城山の頂上には、崇神天皇の代に、大和朝廷より科野国の国造に任命された、神武天皇の皇子・神八井耳命(カムヤイミミノミコト・ミワヤイミミノミコト)
の後裔の建五百建命(タケイオタツノミコト)古墳ともいわれている墳墓の跡があります(渡来人の墓という説も)。
第四次川中島合戦の妻女山は、戊辰戦争の戦死者を祭る招魂社がありますが、戦国時代は妻女山ではなく赤坂山といいました

手前の電柱の奥の丸い頂こそが、本当の斎場山(祭場山・妻女山)。古墳があり、ここが上杉謙信の本陣跡といわれ、床几塚、謙信台と呼ばれています(私有地)。
『川中島の戦 甲信越戦国史』小林計一郎氏にも、これと同じ位置からの写真で、そこを妻女山としています。妻女山古墳は、会津比売の墳墓ともいわれています。
その左手、天城山と中間辺りが陣馬平と呼ばれるところで、謙信が大勢の兵を置いたところです。
千人窪と称し、伏兵千人を潜ませたと伝えられているところは、陣馬平の手前の谷になります。陣用水は、土口側の「蟹沢}と岩野側の「槍先の泉」。清野側にもあったでしょう。
陣場平は、歴史マニアが訪れても、そんな人数は無理だろうと思うかもしれません。ただ、昭和23年にGHQが撮影した航空写真を見ると、
当時は現在と違い、山の頂まで畑で開墾されていたため、大きな平地や緩い傾斜地があったことがよく分かります。
現在は、植林帯や自然林になっているので、夏期はやぶでその全貌がつかめません。熊やオオスズメバチがいます。冬枯れの時期に訪れるといいでしょう。
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