妻女山-象山神社 2004.1.2
妻女山は往古赤坂山といい、本当の妻女山は斎場山といった。
 今年は雪もなく本当に暖かなお正月でした。とはいえ家の中に籠もりきりで美味しいものを食べ続けていたらデブヤに一直線。ちょっと軽く山登りでもしようと、川中島古戦場の妻女山に登ることにしました。低い山ですが、善光寺平の眺望はけっこうなものがあります。
 地元の人も字名をもって妻女山(さいじょざん)と呼んで久しいのですが、しかし、地名は赤坂山といいます。では本当の妻女山はというと、赤坂山より南西に20分ほど登った斎場山古墳のある513mの頂なのです。こここそ上杉謙信が本陣を置いた場所で、床几塚、謙信台とも呼ばれ、古くは斎場山(さいじょうざん・うが付くことに注意)と呼ばれたと麓の集落の岩野村誌にはあり、地元の人は「本当の妻女山」と呼んでいます。


 さっそく出発。現妻女山(赤坂山)の頂上で眺めを楽しんでいたら、新年から始まる大河ドラマ「新撰組」の話になりました。それなら佐久間象山の記念館に行ってみようと話がまとまり。下山後に立ち寄ることになりました。近くには美味しい蕎麦屋もあります。
 すぐ西には、佐久間象山の名の由来となった象山(ぞうざん)があります。約1.5キロの登山道があり、気軽に楽しめます。なお『甲陽軍鑑』の西條山は、西條にある狼煙山のことで、妻女山とは全く無関係です。
妻女山についての詳しいことは、2007.1.2のレポをご覧ください。妻女山は、ふたつある! 本当の妻女山は、斎場山(513m)のこと。陣馬平の正しい場所など。
妻女山の位置と名称に関する考察(本当の妻女山!)

●今回のコース
妻女山登山口--妻女山展望台--招魂社(赤坂山)--登山口・・・・・・・象山記念館--象山神社
その前に浅間山の雄姿をご覧ください



●12月29日 佐久ICから小諸ICへ向かう途中に、眼前に浅間山がそびえ立ちます。クリックでパノラマ写真が拡大します。
 
●浅間山が近くなってきました。クリックで拡大。


●高速道路が無かった頃の良き日の斎場山(中央・旧妻女山513m)と左に展望台と招魂社のある妻女山(赤坂山411m)、右に薬師山(笹崎山437.7m)。これらを合わせて斎場山脈といいます。第四次川中島合戦では、上杉軍13000は、千曲川を挟んで、この山域全体と麓にも布陣したと伝えられています。(1983年5月3日好日千曲川堤防より撮影)
上杉軍斎場山布陣想像図 上杉謙信妻女山布陣経路図・武田別働隊妻女山襲撃経路図 妻女山航空写真

●岩野集落のはずれから見る妻女山。実は赤坂山。陣場平でもありません。斎場山は、右手に20分ほど登った頂。陣場平は、天城山方面へ登った標高500〜530mの高原。
 
●谷街道(国道403号線)から長野電鉄河東線の踏切を渡ります。これは登山道入口から振り返って見たところ。左に岩野名産の美味しい長芋の直売所があります。

●上信越自動車道をくぐります。本当は山頂まで車で行けるのですがアイスバーンなので徒歩で登ります。
 
●あんずの里ハイキングコースの看板に沿って根雪がカチンコチンに凍った道を登ります。

●「上杉謙信槍尻之泉」。上杉謙信が槍の尻で地面をついたら、水が湧き、泉ができたと云われています。謙信の陣用水。
 
●アイスバーンでやたら滑ります。上から車が下りてきました。スタッドレスでも滑ります。チェーンが必須。

●朽ちた作業小屋の横を直登しました。招魂社の裏に出ますが、夏場は藪になります。マムシもいます。
 
●妻女山(赤坂山)山頂展望台から北を見たところです。高妻山と飯縄山が見えます。上の写真をクリックで、妻女山から西-北を望む大パノラマ写真がご覧いただけます

山頂展望台から東を見たところです。松代の街が見えます。クリックで妻女山から北-東を望む大パノラマ写真がご覧いただけます
 
山頂展望台から西を見たところです。岩野の集落が見えます。クリックでパノラマ写真がご覧いただけます

●右に鞍骨城跡のある鞍骨山が見えます。麓は、その昔カチューシャの歌で一世を風靡した松井須磨子の生地です。
 
●やはり東を見たところ。一番手前に象山、そして皆神山、奥に保基谷岳、左奥に白い根子岳。クリックで拡大写真が。

●展望台から少し奥へ歩くと招魂社の広場があります。クリックで拡大します。
 
●招魂社の前で。神社の周囲は低い土塁で囲まれていますが新しいものです。それにしても今年は本当に雪が少ない。上の写真をクリックで第四次川中島合戦の説明図と歴史考が拡大します。

●つわものどもが夢の跡か…。ここに幾千人もの兵士が陣を構えていたのかと思うと不思議な気分になります。実際の陣馬平は、ここより20分ほど南に登った標高520mあたりの平地になります。
 
●松代藩(藩主真田幸民)が、1868(明治元)年の戊辰戦争で明治政府軍として、幕軍と戦ったときの戦没者を祭った社です。瓦には真田の六文銭の紋が記されています。謙信とは無関係。

●ツチグリがたくさん転がっていました。クリックで拡大。
 
●土塁の上に桜が植えられています。この辺りは杏の名産地ですが、桜もきれいです。●松代(海津城)の歴史。

●展望台です。向こうに八幡原の森が見えます。妻女山の奥の天城山のレポは、2003年8月8日のページをご覧ください。
 
●樹間から雨宮の渡し方面を見たところ。実際は山の陰です。

●上信越自動車道薬師山トンネルです。トンネルの右向こうに見えるのが、上杉謙信が庇護したといわれる会津比売神社です。元はもっと大きく山上にあったともいわれていますが、武田信玄によって焼き討ちされ、現在の場所に小さく再建したと伝えられています。
 
●さて松代の象山記念館に向かいましょう。全国的にはショウザンで通っていますが、地元の人はみなゾウザン先生といいます。なぜなら名前の元となった象山(ぞうざん)という呼び名の山がそばにあり、彼の名はそこに由来するからです。通称は、修理。
象山は儒学者・科学者・医者・砲術家で、日本最初の電信実験をし、地震計、医療器、写真機など数多くの化学実験をしました。その多彩な才能には驚かされますが、それ以上に、世界的な視野から日本の行く末を見つめる視点を持っていたことに驚かされます。後に勝海舟にまでほら吹きなどといわれましたが、結局鎖国が続いた後の日本では、彼の才能と見識を真に理解できる人は誰もいなかったのでしょう。

漫 述 <佐久間象山>
謗る者は汝の謗るに任す
嗤う者は汝の嗤うに任せん
天公本我を知る
他人の知るを求めず

●象山記念館です。正月で無料でした。ラッキー! 松代の絵地図300円を買いました。
 
●ペリー来襲の時に松代藩は横浜の警護を命じられ、象山は横浜に赴きます。彼の活躍には時の松代城主・真田幸貫の力もあります。

●象山の使用した興味深い品々。
 
●勝海舟とも深い関係にありました。妹を妻にしています。

●なにやら怪しげな電気治療器。地震予知装置まで作っています。
 
●2階には通信博物館が。右上は最初の携帯電話!

●妻女山から見えたのろし山とその解説です。
 
●通信の歴史が学べます。

●すぐ近くの「象山神社」へ。境内に建つ「高義亭」は、象山が安政元年(1854年)から約10年間の蟄居中に住んでいた松代藩家老望月主水の下屋敷聚遠楼の敷地内にあった建物。来客があるとこの2階に招き、応対したそうです。中岡慎太郎や高杉晋作も訪れています。
 
●学問の神様としてあがめ奉られています。象山の正室は門弟勝海舟の妹順子ですが子がなく、嫡子は側室お菊の生んだ恪二郎です。象山の敵を討つべく新撰組に入りましたが、生来のわがままで役立たず、後に司法省に入りましたが、食中毒で29歳で亡くなっています。

●善男善女の初詣客で賑わっていました。
 
●学問の神様らしく合格祈願の絵馬がたくさん。

●千曲川畔にある松代は、また水の街でもあります。記憶に新しい松代群発地震は、皆神山の地下にある膨大な量の地下水が引き起こしたといわれています。
 
●奇妙山と左に尼厳山。そこを左に曲がると美味しい信州蕎麦の沙羅寿庵。右に行くと大本営を極秘に移設する目的で掘られた全長6キロの地下壕があり、無料で見られます。また、温泉好きには、尼厳山の近くに加賀井温泉一陽館という信玄の隠し湯ともいわれる名湯があります。

MORI MORI KIDS ■MORI MORI KIDS Nature Photograph GalleryI ■CAPINO CAPINO(C) in Tokyo Japan since 08.04.2003
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