妻女山、天城山(坂山)-その2 2003.8.8

●なんとか右を巻いて行けました。

これは登らないといけません。両側が落ちているので慎重に。

越えたらまた別の岩がありました。よっこらしょ。
 
●こんな風に3つか4つの岩を越えました。戦国時代に明聖砦なるものがあったといわれているのは、ここのようです。

●越えると照葉樹林の尾根です。コナラ、クヌギ、カシワ。
 
●下に千曲市(旧更埴市)生萱の集落が見えました。昔は普通にこの辺りまでキノコ採りなどに来たものですが、今では地元の人でも来ることはめったにないようです。熊が出ますしね。この先は戦国時代に雨宮氏の唐崎城があったところになります。

●眼下に広がる雨宮田んぼとあんずの里。右奥に科野(しなの)最大の前方後円墳・森将軍塚古墳群。我々はここから引き返して天城山に登ります。4月上旬から中旬のひと目十万本の杏の花は、一見の価値ありです。「あんずの里情報」「あんずの里MAP
 
●冠着山が見えました。クリックで拡大します。

●右側がスコーンと切れ落ちているので慎重に。低山だって馬鹿にしたものじゃありません。油断は禁物。
 
●戻ると鞍部に大きな糞が。すわ熊かと思いましたが、たぶん猪のものでしょう。しかし、この辺りで熊の目撃情報もあります。熊鈴やラジオは必須です。鞍部には小道がありました。進むとこんな標識が。

●フウセンタケ科のアカヒダワカフサタケか。

●木に巻かれた赤いテープを目印に、倉科尾根へ向かう道からはずれて林の中の急斜面を登ります。

●これもフウセンタケの仲間か、ゴムみたいに弾力があります。
 
●大きなアイゾメクロイグチ。不食。

●10:40 鞍部から5分足らずで、天城山(てしろやま)山頂に着きました。694.6mです。地元の年寄りは、坂山あるいは三角台ともいいます。天城山という名は、この尾根の東にある戦国時代の清野氏の本城「鞍骨城」の支城「天城城(砦)」がここにあったといわれているからです。坂山の方が古い山名だと思われます。
 
●頂上は樹木に囲まれていて見晴らしはよくありません。中央に冬季長野オリンピックの会場だったホワイトリングが見えます。
天城山の読み方は諸説ありますが、「てしろやま・てしろさん」が正しいようです。地元の人はただ「てしろ」と言います。

●松代方面を見たところ。古事記にある天照大神が隠れたという「天の岩屋」のある尼厳山(あまかざりやま)781m が見えます。その岩戸を隠したのが戸隠だといわれています。
 
●登頂万歳。なんだかなあ。もひとつ盛り上がらない。頂上という感じがしないものね。ここから後ろへ下ると二本松峠経由で鞍骨山ですが、あまりの藪で断念。冬に登ろう。熊もいないし。

●頂上はこんな風に石垣に囲まれた穴が開いています。坂山古墳です。一説には神武天皇の次男、神八井耳命(かみやおいみみのみこと)の古墳ともいわれています。その後裔の建五百建命(健磐龍命)の墓との説もあるようですが不明です。
 
●長野市中心街が見えました。クリックで拡大します。あんずの里ハイキングコースは、天城山を越えて二本松峠から倉科坂を生萱の里に下ります。

●10分ぐらいで下山。天城城といっても狭い山頂ですし、大きな砦は作れないでしょう。小さな砦だったと思われます。

●長男が天蚕の繭を発見。ヤママユガのまゆです。美しい!

●裸の赤松。月の輪熊がマーキングしたのか。いや、マツクイムシにやられたのを猪がほじったのでしょう。熊は30cm位の幅で皮をはぎます。
 
●林道からの登り口に戻ってきました。標識もないし、こんなですから気をつけていないと見落とします。

●さあ一気に下るぞ。途中頭に小石をぶつけられたような衝撃が! なんとオオスズメバチでした。帽子をかぶっていたので命拾い。
 
●ヤママユガ科のクスサンかヒメヤママユガのまゆ。透けた繭を作るのでスカシダワラとも呼ばれます。

●林道の脇に見晴らしの良い斜面が。松代と千曲川が見えます。クリックで拡大パノラマ写真が。
 
●これはキリギリスの新種か? クリックで拡大し答えが。

●クズ。秋の七草のひとつ。新芽の天ぷらは美味しい。葛根湯や葛餅は有名ですが、旺盛な繁殖力は困りものでもあります。
 
●桐の実。

●妻女山から岩野遠望。クリックで西から北の拡大パノラマ写真が。

11:30 妻女山の展望台に戻ってきました。写真をクリックで、左の続き、北から東の大パノラマ写真が。

●展望台にあるイラストマップと川中島合戦の説明図。
 
●紫が上杉謙信。赤い破線は武田の別動隊の動きです。上の写真をクリックで拡大し、川中島合戦の歴史が。

●妻女山から国道に下りる途中にある、上杉謙信にちなむ清水(わき水)の跡。現在は下の会津比売神社までひかれています。
 
●麓の会津比売神社。「會津比賣命(アイヅヒメノミコト)」が祭神。そこで上杉謙信が妻女山と名付けたそうですが、これは作り話でしょう。元は斎場山にある大きな神社だったらしいのですが、上杉方についたために、武田が北信濃を支配したときに焼き払われ、その後麓に小さく再建されたということです。
上信越高速道路の薬師山トンネル建設に伴い新築されました。正面の桁に獅子の彫り物が2つあったのですが、切り取られ盗まれてしまいました。きっと天罰が下るでしょう

「赤々と日はつれなくも秋の風 」松尾芭蕉
●『日本三代実録』貞観8年6月甲戌朔条 (866)
授信濃国無位武水別神従二位。無位会津比売神。


●妻女山の麓、岩野から見た、左から陣馬平山、下がって右に富士ノ塔岳。奥に飯縄山。晴れていれば中央に戸隠が望めます。クリック。こちらをクリックで、冬の戸隠・高妻・飯縄がご覧になれます
 
●清野からの天城山(坂山)・鞍骨山遠望。クリックで拡大パノラマ写真と歴史が。

●雨宮の渡し近くからの天城山(坂山)遠望。右の三角の山。
 
●上信越自動車道屋代バス停付近から見る天城山。中央の三角。右手前の尾根には鷲尾城がありました。上田から長野盆地へ抜ける更埴の平地が一望の下に見渡せることがよく分かります。右奥に霞む山は、鞍骨山から鏡台山へと続く、武田別働隊が辿ったと伝えられる大嵐の峰。
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