四阿山、根子岳 -その2 2003.8.5

●後ろの三角が中四阿山。気持ちのいい尾根道から笹の道へ。時々獣臭がするのはなぜでしょう。たぶんこの鞍部を、谷から谷へクマが越えていくのでしょう。

●大きな岩の上にウンコ…。カモシカならコロコロ丸いし。狸は留糞。ゲッ!月の輪熊か。違います。クリックで拡大(笑)。

●雲が取れてきたね。もうすぐだ。クリックで雲が取れた中四阿山から根子岳の拡大パノラマ写真がご覧いただけます。
 
●笹原を登っていくと、おお!三角の四阿山頂上がかすかに見えてきました。あと少しだがんばるぞ。

●9:33 広場のような場所で根子岳からの道と合わせます。
 
●ナナカマド。実家の庭にも昔から有りました。

●最後の登りは植生保護のための木の階段を登ります。人気のある山なので色んな所を歩かれてはげ山になってしまったんでしょうね。途中で写真撮影のおじさんに会いました。聞くとタカネニガナですと教えてくれました。
 
●9:50 四阿山に到着です。でも雲に覆われて何も見えません。頂上には誰もいません。わが家が独占です。なーんにも見えないけれど気持ちがいいね。気温17度。

●少し歩くと岩屋があり小さな祠が奉られています。
 
●小さな社を囲む石垣の上に立って記念撮影。

●おにぎりを食べながら雲が晴れるのを待つことにしました。食べながらふと思い出しました。そうだ! 四阿山の頂上は群馬側にあるんだ! 家族は「???」。 思い出して良かった…。忘れてここで帰ってしまったらあとで面目丸つぶれですよ。でも、そうやって降りてしまったうっかりさんはいるんじゃないかなあ。いないか。ここは南向きの社だから上州向社(上毛社)。信州向社(信濃社)へ行かなければ。

●ここが頂上です。二つの社は古い歴史を持っています。ここは真田町にある山家神社の奥社です。詳しくは山家神社のHPをご覧下さい。それよりの一部抜粋です。「由緒」:創立年は不詳であるが、延喜式神名帳収載の山家神社で、大国主神を祀って旧山家郷の産土神としたものである。景行天皇の御代(71〜131)に日本武尊を合祀したと云う。社伝に、「本社の別当浄定というもの越の泰澄の徒弟にして加賀の白山比め神社を信仰し、其の神霊を勧請し、養老二年奥社を四阿山絶頂に奉遷す。」とある。この奥社は二社あり、東向きの社を信州向社(信濃社)、南向きの社を上州向社(上毛社)という。

●おっ!普段の行いが良いのか、念力が効いたか雲が取れてきました。クリックで根子岳から米子の滝へのパノラマ写真が。
 
●社を冬の厳しい寒風から保護するために積まれた石垣の上から上州社の方面を望む。

●これがタカネニガナ(高嶺苦菜)ですね。ニガナは東京の里山でも普通に見られます。名前の通り苦い草です。
 
●米子の滝に続く深い谷。小根子岳-根子岳-四阿山-浦倉山-奇妙山で囲まれた直径約3kmの火口跡です。クリックで拡大写真が。米子の滝情報も。

●頂上から群馬側を見たところです。クリックで拡大写真が。

●(写真右)浦倉山への細い尾根に登山道が見えます。クリックで拡大写真がご覧いただけます。
 

●同じく山頂から、これから登る根子岳を見たところ。クリックで大すき間から根子岳の拡大写真がご覧いただけます。
 
●四阿山頂上の樹木ですが、なんですかね。樹木鑑定サイト「このきなんのき」に問い合わせたらミヤマハンノキだそうです。

●鳥居峠への尾根です。クリックで拡大写真が。

●上州社に戻ってきました。太陽がまぶしい。

●10:20 根子岳の北側に雲がわいてきました。雷雲が発生しそうです。この下の須坂、若穂は雷雨の激しいところです。下山することにしました。頂上に30分滞在。
 
●クマザサの道を根子岳との分岐に向かって急ぎます。

●分岐の広場を過ぎると、登山道はいきなり急な下りとなります。
●(写真右)1m以上の段差が続きます。石や木の根が濡れていて滑るので神経を使います。これから大すき間の2039mまで300mほど一気に下ります。
 

●先頭の長男は、もうビルの3階分ぐらい下にいます。
 
●コメツガやオオシラビソの林でしょうか。それとクマザサ。とにかく根っ子も岩も濡れていてよく滑ります。クリックで拡大写真が。

●コブの出来たシラビソ。
 
●見上げると、雲に覆われた空がわずかに顔を覗かせます。

●笹で隠れてしまった登山道は注意が必要です。滑るし隠れた根っ子があります。

●ちょっと一休みして振り返りました。クリックで拡大写真が。

●ちょっと開けました。とにかく足元が滑ります。
 
●四阿山から1.3km。根子岳まで1.2km。もう少しだ。

●振り返るとこんな感じです。
 
●枝の間から根子岳の山裾が見えました。

●森が開けて、また根子岳が見えました。思わず次男は万歳。
 
●林下に育まれた命。クリックで別の写真が大きくなります。

●ひえーっ!埋もれちゃうよー!と次男。最後に深い笹の森が待っていました。
 
●11:15 やっとクマザサの原っぱに出ました。

●大すき間に降りたら、根子岳の頂上は手前の岩の尾根に隠れてしまいました。

●向こうから登山者がやってきます。上に白く見える点は、コルから左の谷へ降りて、根子岳からの登山道と合流する分岐です。昭文社の登山地図にも真田町の観光ガイドにも載っていません。このコースは上級者向きとあります。急斜面をトラバースしなければならないのかもしれません。また、谷筋なので、熊との遭遇にも注意が必要でしょう。

●振り返って四阿山を見ると、左手にある頂上は雲の中。
 
●雲で根子岳も隠れてしまいました。

●大すき間(コル)を渡る風が気持ちいい。気温は15度。山頂より涼しくなりました。
 
●さあ根子岳に向かって出発だ。おっ、雲が取れた。

●少し登って再び四阿山を振り返ります。クリックで拡大。
 
●中四阿方面を見たところ。クリックで四阿山から中四阿へのパノラマ写真がご覧いただけます。

●マツムシソウ。クリックで拡大。
 
●岩の上に大きな鳥が。遠くてよく分からないのですが、目のいい長男に聞くと「たぶんホシガラス(星鴉)だよ」とのこと。山地の針葉樹林を住みかとし、昆虫や松の実を食べるそうです。

●岩場に到着。クリックで拡大。さらに望遠で見るとこんな景色
 
●石を積んで出発。あともう少し。

■歴史の中の四阿山
 
四阿山は、真田幸村と非常に深い関係にあります。真田十勇士はフィクションですが、真田忍びは実在のものです。戦国の乱世、真田は北の上杉、南の武田という強大な勢力に挟まれた厳しい状況にありました。まさしく信濃の国は、ベトナムかアフガニスタンか。そんな状況の中、天下の情報を素早く正確に捉えるために、真田幸村は山伏の情報源を活用したのです。
 真田氏のいる上信越国境には、山伏が修行する霊山が連なっていました。その中でも四阿山は、たくさんの山伏達が集まる代表的な霊山でした。頂上には白山権現を祭神とする四阿神社がまつられています。鳥居峠付近には中社と籠り屋があり、山伏達の修行場となっていました。
   山伏達は古来より関所の通行が自由だったそうです。彼らは苦行に励み、棒術や刀術にたけており、強靱な肉体をもっていました。彼らが真田忍びの中核を担い、隠密活動や敵のかく乱など変幻自在の大活躍をしたのだそうです。
 当時、真田幸村は、世に「不思議な弓取り」と言われました。天下の大群を相手に、一歩も引かぬ変幻自在の戦いを挑みましたが、その背景には四阿山を舞台にした特殊技能を持つ山伏達の忍びの活躍があったのです。そんなことに思いをはせながら四阿山に登るのも、またいいかもしれません。また、麓の上田市や長野市松代町には、真田ゆかりの史跡がたくさんあります。登山の後に訪れてみるのもいいのではないでしょうか。しかし、あの装束で、どんな高山でも駆け登っていた山伏達は、まさにスーパーマンですね。
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