| 妻女山招魂社 |
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| ●標高411mの妻女山(さいじょざん)。
招魂社は、松代藩(真田幸村の兄、信之公が領主)が幕末に明治政府軍として、幕軍と戦ったときの戦没者を祭った社です。 瓦には真田の六文銭の紋が記されています。その功績を受けて、松代藩からは、多くの人が新政府に重用されました。 またここは、第四次川中島合戦時の上杉謙信公の本陣跡といわれていますが、正確にはここは赤坂山で、正しい妻女山は、ここより20分ほど登った妻女山古墳のある512mの頂きです。斎場山が古い名前で、謙信が床几を置いたため床几塚、謙信台とも呼ばれています。詳しくは、2007年1月2日のフォトレポをご覧ください。 「川中島の合戦」永禄四年( 1561 )の川中島合戦の際、上杉謙信はそこに本陣を置き、海津城の武田信玄と対峙しました。 決戦の前日、海津城からいつもより多く立ち上がる煙を見て、謙信は信玄の動きを察知。この山の西方から下山し、雨宮の渡しを経て川中島平に出たと伝えられています。 一部の郷土史家は、ここを陣馬平としている人がいますが、地元の古老のいい伝えでは、陣馬平はもっと上の標高500mあたりに広がる平地です。 確かにここは狭すぎます。そして海津城を見張るには、標高が低すぎるし土口側(一説には清野側)の千人窪も遠すぎると思います。 最近は、この近辺までカモシカや熊、猪が降りてくるようになりました。 |
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