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夏に似合うジャズアルバム
「ピーター・キャット」の気怠い夏


 最高気温36度の信州で書くには絶好のテーマかもしれないが、脳がメルトダウンしている。暑すぎるせいか、例年より早く妻女山山系のオオムラサキもほとんど姿を消してしまった。翅がボロボロになってもまだ求愛ダンスを続けるオオムラサキのペアを見て、荘子の『斉物論』にある「胡蝶の夢」という寓話を思い出した。荘子が夢の中で蝶になり、空を舞って楽しんでいると目が覚めてしまう。すると、自分が夢を見て蝶になったのか、蝶が夢を見て自分になっているのか、ど ちらか分からないという話だ。夢と現(うつつ)の区別がつかないことの例えや、人生の儚さの例えである。大発生したかと思うと、アッと言う間に姿を消す生態や、蝶の予測できない不安定で気まぐれな飛び方から思いついたものだろうか。オオムラサキやら、今年はほとんど見られなかったゼフィルスが、来年は多く発生してくれることを祈るのみだ。奇形が一頭も見られなかったのは幸いだったが。
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 大学一、二年は国分寺、三、四年は国立だったが、一年の夏休みは以前書いた様に、雑誌『non-no』など複数のバイトに明け暮れた毎日だった。それもあって9月から「ピーター・キャット」のアルバイトを始めたわけである。というわけで、夏休みに「ピーター・キャット」のバイトをしたのは二年のときだった。帰省する学生も多いので、店は比較的暇だった様な気がする。夏休み中どっぷり田舎に帰るという学生はほとんどいなかったのではないだろうか。一週間から10日ぐらい帰省するというのが一般的なパターンだったと思う。帰省しても高校時代の悪友と再開するというぐらいがわずかな楽しみだった。親友の家に集まって、ビールを飲みながら、田圃の蛙の合唱をBGMにお気に入りのジャズアルバムを聴く。そんな毎日だった。皆が混雑する旧盆に帰省するとも限らないので、思いついて友人のアパートをふらっと訪ねるといないなんてこともよくあった。なにせ電話も携帯もメールもなかったわけだから。毎晩集会所に集まる猫達の方が、よほど情報網が進んでいた時代だ。
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 話が逸れるが、猫がらみ。私の趣味のひとつに「猫をからかう」というのがある。高度な技術と哲学を要する高尚な趣味である、わけがない。社会人になって南米に行く前に、参宮橋の一階に大家さんのしなびたおばあちゃんが一人で住んでいる家の二階に間借りしていたことがある。その北側に小さな砂利の駐車場があって、そこが夜中になると近隣の猫の集会場になっていた。これの観察は生物行動学的にもなかなか面白かったが、あるとき邪悪な心が芽生えた。ドライのキャットフードを買って来て、そっと窓を開けて集会の真ん中にバラバラッと大量に投げてやるのだ。突然空から嫌いな雨ではなく餌が降って来たものだから、集会どころではなくなる。もうめちゃくちゃである。面白かったが、こんなことを続けていたら、餌どころかお嫁さんも優しい飼い主も全て空から降って来ると思う様になるのではないかと思い止めた。優しい恋人が空から降ってこないかな・・。
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 夏に似合うジャズアルバムといっても人それぞれだろう。意外なアルバムを挙げる人もいるだろうと思う。夏には各地でジャズ・フェスティバルが行われるので、そのイメージも強いかもしれない。私も80年代前半は、地元の友人達と信州斑尾高原のジャズフェスに通ったものだ。爽風の吹く信州の明るい高原でビールを飲みながら聴くジャズは、地下室の薄暗い「ピーター・キャット」で聴くそれとは、また違った趣があっていいものだった。
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夏のジャズ
アストラッド・ジルベルト/ゲッツ & ジルベルト/オスカー・ピーターソン/セルジオ・メンデス
ガトー・バルビエリ/アルバート・アイラー/マッコイ・タイナー/ウェイン・ショーター


 「ピーター・キャット」で夏にリクエストの多かったアルバムといって最初に思い出すのは、やはりボサノバ。アストラッド・ジルベルトのスタン・ゲッツとの共演による「イパネマの娘」をまず思い出す。『GETS/GLBERTO』も名盤だ。春樹さんお気に入りのスタン・ゲッツのサックスが朗々と流れる。ジャズギターの名手、ケニー・バレルの『BLUE Bossa』。真夏の気怠い午後に。ウェス・モンゴメリーの『Windey』は、爽やかな海辺の朝を思い出させる。ジョー・パスの『Misty』。真夏の夜にカンパリ・ソーダを飲みながら。夏はジャズギターが合う。
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 来年(2014)は、ブラジルでFIFAのワールドカップの大会がある。大手広告代理店はこぞってブラジルブームを仕掛けるのは間違いない。作られたブラジルブームが起きるだろう。既に実力派℃-ute (キュート)の『あったかい腕で包んで』も、ボサノバでリリース。驚いた。アイドルグループの歌とは思えない程いい。ボサノバ(Bossa Nova)とは、英語でいえばニュー・ウェーブ。つまり新しい波。1950年代後半にリオ・デ・ジャネイロのコパカバーナやイパネマ海岸に住む裕福な家庭の学生やミュージシャン達の手で生まれた。最も有名なのは、やはりアントニオ・カルロズ・ジョビンだろう。
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 日系人では、サンパウロ生まれの小野リサが一押し。四谷にある彼女の父上の店「サッシ・ペレレ」も何度か行った事がある。『小野リサ=ジョビン・メドレー』は、彼女の魅力が凝縮されている。彼女のヴェルヴェットヴォイスを一度聴いたら、必ず虜になるだろう。ブラジルには、19世紀に生まれたショーロ(choro)という音楽がある。ショリーニョともいう。ブラジルのジャズとも呼ばれ、即興性もある。アマゾンで停電した夜に、宿の向かいの家が泥棒除けにショーロを大音量で流していた。エキゾチックな調べが旧市街の壁に反射して、漆黒の空に消えて行った。代表的な曲のひとつ、『Roda de Choro - Noites Cariocas』。
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 オスカー・ピーターソンの『Soul Español』は、ラテンナンバーばかりを集めたアルバム。彼の中では異色のアルバムだが、非常にいい。夏向きだ。「Mas Que Nada」は、セルジオ・メンデスのものがなんといっても有名だが、「鍵盤の皇帝」と呼ばれたピーターソンのダイナミックにうねる演奏は、やはり圧倒的。魅力的だ。このアルバムが店にあったかは記憶が曖昧だが、自分が買ったアルバムでも、春樹さんのOKが出れば営業中でもかけることができた。ビッチェズ・ブリュー以降のマイルスとか、ソロ・コンサート以降のキーズ・ジャレットとか、ダラー・ブランドとか、セシル・テーラーなどのフリージャズはもちろん論外だったが・・。オスカー・ピーターソン・トリオの『When Summer Comes』。なんて美しい演奏なのだろう。「ジャズに名曲はない、名演奏があるだけだ。」という言葉を思い出す。
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 ガトー・バルビエリのテナーが切ない『Under Fire』は、春樹さんが買って来てリクエストが非常に多かったアルバム。聴き所は、やはりA面二曲目の『Yo Le Canto a La Luna(月に歌う)』だろう。大胆な性描写(バターを塗ってアナルセックス等)で話題になったマーロン・ブランドとマリア・シュナイダー主演の『Last Tango in Paris』で彼の演奏が使われたためだろうと思う。男女問わず人気があったが、女性はどこに惹かれたのだろう。ガトー・バルビエリのむせび泣くテナーとジタンの煙とパリジェンヌのヌードと『gato barbieri - last tango in paris』。
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 アルバート・アイラーは、享年34歳で、ニューヨークのイースト・リヴァーで溺死体で発見されたサックス奏者。基本がフリージャズの人なので、彼のアルバムは店にはたぶんなかったと思う。『my name is ALBERT AYLER』という風変わりなタイトルのアルバムで、その名の通り「私はアルバート・アイラーです。」という自己紹介から始まる。聴き所は四曲目の「Summer Time」。これが聴きたくてこのアルバムを買ったといっても過言ではない。それほど素晴しい。寝苦しい熱帯夜に聴くといい。たぶん余計眠れなくなるが・・。そんな夜はジンベースのカクテルがいい。ジンライム、ジンフィズ、ジンリッキー、ジンバック、ネグローニ等がおすすめ。蒸し暑い夜にはジュニパーベリーの香りが合う。ジュニパーベリーは薬草でもある。利尿作用や殺菌作用があり、痛風やリウマチなどの関節炎に効くそうだ、だからといって飲み過ぎたら元も子もないが。
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 マッコイ・タイナーの『ATLANTIS』は、1975年のアルバム。A面は18分余り全て「Atlantis」である。イントロはお寺の読経の鐘の様で、とても「ピーター・キャット」でかけられる様な曲ではないとも思えるが、マッコイのピアノとアザール・ローレンスのサックスが始まると、そうでもないのです。スリリングな疾走感がたまらない。アッと言う間の18分。これは店でかけたことがある。発売直後だったので、かけると気になったお客さんが、わざわざ席を立ってジャケットを見に来た事もあった。そんな時は思わずほくそ笑んだものだ。これは、春樹さんは買っただろうか。記憶にはないが・・。
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 ウェイン・ショーター率いるWETHER REPORTの『MYSTERIUS TRAVELLER』。忘れもしない、これは高校時代の悪友N君が「おまえこれ分かるか」と言って持って来たアルバム。今ならどうということもないが、当時は確かに斬新なサウンドだった。アマゾンの密林のシルエットに落ちて行くUFOの様なジャケットも新鮮だった。真夏の熱帯夜に聴くと不思議な爽涼感があった。「Nubian Sundance」という曲があるから、これはアマゾン河ではなくてナイル河なのだろう。しかし、私が思い出すのはあくまでもアマゾン河だ。作家開高健も愛したサンタレンの夕日を思い出す。
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 あれは一年の夏休みだったろうか。製図の基礎課題だったと思うが、B2のケント紙に目一杯製図で使う線種を上から10ミリ置きに描いて行くという、実に単調で手間の掛かる課題があった。太線、中線、細線、破線、一点鎖線、二点鎖線等々。世界標準の製図の基本なんだが、やった人は分かるだろうが、大事だと分かっていてもこんな退屈で難儀な単純作業はない。皆で、これは一人でやったら気が触れるよねということで、一軒家の離れに間借りしていた「ピーター・キャット」のバイト仲間のY君の部屋に集まってこなすことになった。
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 夏の暑い夜。ジャズをBCMに一斉に作業に取りかかった。最初は余裕で会話しながら順調に進んでいたのだが、深夜に及んで精神に異常を来す者が現れた。余りの単純作業の馬鹿馬鹿しさに、なんの前触れもなく笑い始めたのだ。もういけない。笑いは伝染し訳もなく皆のたうち回って笑い転げた。泣きつかれると、もう泣けない様に、笑い疲れるともう笑えないものだ。その後、黙々と夜が白むまで一片の笑みも会話もなく終わるまで作業が続いたのはいうまでもない。こういう作業は、CAD全盛の現代では既に廃れたものだろうと思っていたら、建築科に進んだ次男が同じ様な事をやっていて笑った。基本は大事なのだ。アナログに勝るものはない。
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 『真夏の夜の夢』といえばシェークスピアだが、あれはいつの夏の夜だったのだろう。上野駅の不忍口のコンコースに上がった時だった、向かいの階段を金髪の美しい少女達が大勢駆け上がって来た。しかも、Hurry up!と必死に駆け足なのだが、信じられない程走る姿が美しい。慌てて改札を抜け、上野の森に消えて行った。なんだあの妖精達はと思ったら、その先の闇の中にロンドン・ロイヤル・バレー団の講演の看板が見えた。正に『真夏の夜の夢』だった。昔、代々木八幡の駅だったかな。向かいのホームの端っこでバレー教室の帰りの少女がふたり、裸電球のスポットライトの下で、その日教わったのだろうポーズの練習していた。あれも妖精の様で見とれた。余りに可愛らしくて思わず微笑んだものだ。美しいシーンというのは、何気ない日常の中にこそある。
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 『真夏の夜のジャズ "Jazz On A Summer's Day 1960"』という映画がある。ジャズファンなら時間がある夜にゆっくり観るといい。セロニアス・モンク、ソニー・スティット、アニタ・オデイ、ダイナ・ワシントン、ジェリー・マリガン、サッチモ、マヘリア・ジャクソン等々の素晴しい演奏や歌が聴ける。失われてしまったアメリカがそこにはある。まもなくアメリカは崩壊するだろうと世界の経済アナリスト達は言っている。もっとも日本はその前に、福島第一原発の再臨界や再爆発。あるいは、大地震や大噴火で先に逝ってしまうかもしれないが。それでも人々は、カタストロフィーの直前まで踊り続けるだろうけれど。
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 「ピーター・キャット」の気怠い夏は、学生の夏休みが終わりに近づくと喧噪の日々が戻って来た。毎日の様に見慣れた顔が増えて来て、久しぶりに会った高揚感みたいなものが店中に溢れた。店は再び大賑わいになった。そんな蒸し暑い残暑の夜は、ソルティドッグやブラッディ・メアリーがよく出た。ソルティドッグに関しては、71年にグレープフルーツの輸入が自由化され、70年代半ばになると安く買える様になった影響が大きい。当時、一番お洒落な果物だったと思う。ムサビの女の子達が来ると注文していた様に、女性からの注文が多かった。一般的にはウォッカベースで作るけれど、私はむしろ古典的なジンベースの方が好きだ。もちろんグラスの縁には塩を付けて。もし熱帯夜だったら、少しジンを多めにして炭酸を加えてもいい。邪道だけれどね。
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今日はここまで。とりあえず夏が終わるまでに書けた。次回は学生時代に行ったロンドンとパリについて。

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