レシーフェからアマゾン河口の街、ベレンヘの旅
 青かった。青い色以外、目に入るものは何もなかった。私は一瞬、自分が海の中にいるものと思ってしまう。目の前を七色に輝く透明な魚がゆらゆらと泳いでいったような気がした。けれども、私はすぐに自分が長距離バスのシートに埋もれていることに気がつく。こわばった体をギシギシいわせながら体の形にへこんだシートから上半身を引きはがす。
「真っ赤だ」
 私は思わずつぶやいた。
 朝日をあびて、薔薇の花びらを一面に敷きつめたように赤く錆色に輝く平らな大地が、見渡すかぎりどこまでも続いていた。そして、その大地は空と交わる地平線のあたりで、地球の丸さに逆らうかのようにクイッとささくれだっていた。私の経験の中にはない、あまりに単純で抽象的な風景のために距離感がつかめない。そのため、そのささくれが単なる丘の連なり程度のものなのか、それとも山脈なのかまったく見当がつかなかった。
 私の目の前の風景は、上半分が一片の雲一つない完璧な青空、下半分が限りなく広がる赤い大地、その二つだけでできていた。赤い大地には木はおろかひとつかみの草さえも見ることができなかった。かといって、まるで意志を持った生物のように動き続ける砂丘が連なる砂漠の風景とも、それはまったく異なるものだった。赤い大地は、巨大なブルドーザーで削り取ったようにまっ平らで、人工的な匂いすらした。そして、その表面は固い岩盤のようではなく、わずかな柔らかさを感じさせた。表面は細かい砂で覆われているのかもしれないと私は思った。
 溶けかかった時計、燃えるキリン、引き出しのついた貴婦人の像、そんなものがあっても不思議には思えないほどシュールな風景だった。しかし、そのようなものがなくても、喪失感など感じさせない充実した力に満ちた風景だった。その横図は上質の抽象画を見るのにも似た緊張を秘めていた。
 私は自分が長距離バスに乗っていることも忘れるほどに、その風景に魅せられていた。
意識も視覚もはっきりしているのに、私は夢を見ていた。熱い一陣の風が突然吹き、赤い砂塵が空に舞う。砂塵は大気を含んで薔薇の花びらに姿を変える。空は花びらで埋まる。青い空は紫色になり、やがて深紅に染まる。ここの大地が赤いのは、失われた幾百万の先住民と、遠くアフリカから連れてこられ、この地で息絶えた多くの奴隷たちの血がしみ込んでいるからだ。それがブラジルという国名の由来となった赤い染料を採るために伐採され尽くしたというパオ・ブラジルの樹も、その血を吸いあげてより赤く染まったのだ。

 前日の夜8時、私を乗せたバスはレシーフェの街を後にした。ベレンまでのルートにはレイト(寝台バス)がないため、私は両側にそれぞれ2列の座席がついた48人乗りの大型バスに乗り込んだ。乗客は定員の半分ほどで、私の席は右側の前から3番目だった。隣が開いていたため、間のひじ掛けを折りたたんでデイバッグを抱えて私は横になった。
 出発後数時間で、バスは海岸山脈の高地に入った。雲が少なく月も出ていなかったので、星が降るようにたくさんまたたいていた。バスの振動を子守歌にそのまま寝つけるはずだったが、海岸山脈の高地の夜は思いのほか冷え込み、Tシャツ一枚の私は震えが止まらず、結局、明け方まで熟睡することはできなかった。
 そして、夜明けの鮮烈な風景が私を迎えた。
 バスは時速100キロメートル程でダリの絵の中を走っている。こんな風景の中では、夢も現実も、昔遊園地にあった覗きシネマのようで、時間が来るとカラカラと音をたててすべてが終わってしまいそうな気がする。けれども、キリンが死ぬことはあっても、世の中はそう簡単には終わらない。なにより、私の旅はまだ始まったばかりだ。

 その町は、赤土の上になんの前ぶれもなく忽然と現れた。バスの走る幹線道路から数百メートルほど離れた町の建物は、ペンキで白や水色、コーラルピンクなどに塗られているのだけれど、乾ききった風によって壁に吹きつけられたと思われる赤土と上ったばかりの朝日のせいで、すべてが赤く見えた。町に緑はなく、また人影も見られなかった。町はうち捨てられた廃墟のように見えた。そしてその小さな町並は、現れたときと同じように突然途切れ、あとはまた荒涼とした赤土の大地が続くばかりだった。
 やはりゴーストタウンなのだと思ったその時だった。バスのフロントガラス越しにふたつの人影が見えた。バスはふたりの横に止まり、ドアが開けられた。しばらくバスの運転手とふたりの交渉が続き、やがて話がまとまったらしく運転手はバスを降り、バスの下部にある荷物室のハッチを開いて、赤土がついたラスタカラーのビニール製の大きな袋を放り込んだ。すすけた原色の服を着た30歳前後の女性が不安げな表情でバスに乗り込んできた。二人は会話を交わすこともなく空いている席に座った。
 ふたりが私の横を通り過ぎるときに少し日なた臭い匂いがした。赤土の匂いだろうかと私は思った。乗客の大半はまだ眠りの中にいた。バスは再び一点透視図法の消失点に向かって走り始めた。
「人が住んでいるんだ」
 私はつぶやいた。そして、北アメリカの先住民たちがそうするように、目を細めて世界を見てみた。青と赤が揺らぎながら視界の中で交わり、世界はひとつになった。こんな単純な風景の中に住んでいたら、どんな人間になるのだろうと思う。
 抽象絵画の中に住む人々。
 やはり何かを置きたくなるのではないだろうか。やはり何かを記したくなるのではないだろうか。それもかなわぬなら長い脚の巨大な象に乗った聖者の行進さえ幻に見るのではないだろうか。
 私は振り返り、さっき乗り込んだ二人を眼で探した。けれども、どれがその二人だったかわからなかった。

 午前8時過ぎ、バスは赤土の丘にぽつんとある小さなランショネッチに入った。軽食や飲み物を売る小さなバールと、男女別に分かれたトイレとシャワーがあるだけの建物の入り口には、どこから来たのか男がいた。乗客たちは彼に小銭を支払い、1メートル50センチほどのピンク色のざらついたトイレットペーパーをもらって入っていく。大急ぎで、シャワーを浴びているものもいる。カフェズィーニョを飲み、パンを食べるものもいる。これらすべてを15分か20分ほどの停車中にすませる。ブラジル人にしては珍しく気のせく話だ。当然遅れる人もいる。そんな人は運転手にせきたてられ、ころげるようにバスに飛び乗り車上の人となる。
 昼少し前から、風景に背の低い有刺潅木林が続くようになってきた。そして驚くべきことに、その風景はほとんど変化がなく一日中続いた。つい、うとうととしたその後で目を開けると、眠る前と同じ風景の中にいた。そのため同じところを何度も通っているような錯覚に陥ったほどだ。大仕掛けの迷路にはまったような、針の跳ぶレコードが一日中同じところを演奏し続けているような、軽いめまいと悪寒におそわれた。
 早くアマゾン河をこの目で見たい。この頃になると気持ちばかりが急くようになった。ほとんど変わらぬ風景はそんな私をいらいらさせた。時速100キロ近くで走るバスが亀の歩みのように感じられた。ただ、朝に灰色の小さな塊がいくつも転がっているようにしか見えなかったものが、午後にはそれなりの有刺潅木林の様をなすようになり、いつしか緑も濃くなり始め、それに混じる椰子の木の割合も増えてきた。その事実だけが、ただ急くばかりの自分への慰めとなった。それは、憧れのアマゾン河へ、アマゾンのジャングルヘ近づいていることの何よりの証であるからだった。

 それは中性の宗教画を見ているような光景だった。緩やかなすり鉢の底に、その小さな町はあった。私たちのバスは、その縁をなめるように走っていた。町を見下ろす前方の赤い丘の上には、両腕をいっぱいに開いたイエス・キリストの像が夕日を浴びて立っていた。その長い行列は、私たちの行く手に向かってすり鉢の底にある町から、道なりに幾度も折れ曲がりながら、ずっと続いていた。ある男は大きな十字架を肩に担ぎ、ゆっくりと坂を上っていた。白いローブをまとっている者もいた。小さな子供たちの姿もあった。
 そして、彼らが行く先には、板で作られた水色の十字架の立ち並ぶ墓地があった。墓地にはすでに数多くの人が来ていて、地面にたくさんのローソクを立てていた。ローソクには次々と火が灯され、沈みゆく夕日の代わりに世界を照らし始めていた。星になった魂はこの灯を目印に地上に降りて来るのだろう。群青に染まり始めた空には、降りてくるべき魂のかけらがチカチカとまたたき始めていた。異教のものでありながら、それはどこか心の琴線に触れる懐かしい光景だった。

 まるでたたき落とされたばかりの蜂の巣のようだった。私は闇の中に突然現れた大きなバラックの入り口で、呆然と立ちつくしていた。バラックの前の広場には、北から南から次々とバスが乗りつけては乗客を吐き出していた。ブラジルのポップスが割れた音で流れる。それに負けず大声でおしゃべりに興じるものもいる。肉の焼ける匂いと煙草の煙の充満した薄暗いレストランに押し込められた乗客たちは、一様にそれしかない料理をブロイラーの鶏のようにせわしなく食べ、終わると追い立てられるようにバスに戻り、それぞれの目指す闇の向こうへと消えていった。
 ぐずぐずはしていられなかった。ここで夕食を食べなかったら、後はベレンまで何も口にできないかもしれなかった。焦り始めた時、突然目の前のテーブルが空いたので座る。ココナッツ色の肌をした丸顔でポニーテールの娘が前の客が食べ散らかした皿をかたずけに来た。注文をしようと彼女を見て、私は彼女がひどくうんざりして、しかも疲れきっているらしいことに気づいた。私がそれしかないプラット・ド・フェイト(一皿に盛られた定食)とビールを一本たのむあいだ、彼女は私を無表情の眼差しで見つめていた。ビールの小瓶をたのむと大瓶しかないという。思いがけずかわいい声だったが、声に力がなかった。注文が終わると彼女は返事もうなずきもせずにテーブルの上の空いた食器を乱暴にかき集め、出入りする人でごったがえす人込みの中に消えた。
 私は夕方見た光景を思い出していた。日本でいえば「お盆」にあたる日なのだろう。それなのに耐え難い喧騒の中でぼろ雑巾のように働かなければならない彼女に、私は少し同情した。やがて彼女は、焼いた肉や野菜、ご飯などがひとつの皿に盛られた猫飯と冷えたビールの大瓶を持って現れた。やはり無表情に皿を置いた彼女を見上げ、私は彼女の目の中に私への好奇心があるのを感じた。何にもない街道沿いの田舎の村だ。外人が珍しいのだろうと私は思った。数枚の紙幣で代金を支払うと、彼女は実に面倒くさそうな表情でつりを探し始めた。私はとっさにその手を止めて言った。本当にわずかな金額だった。
 「それは、とっておいて」
 彼女は一瞬手を止め、えっ?という表情を見せた。こんな場末の、行きずりの者しか寄らないレストランだから、わずかとはいえチップをもらうことなどないのかもしれなかった。彼女の口から、オブリガーダの言葉は聞かれなかったが、私を見る眼差しがほんの少しだけ微笑んだのを私は見逃さなかった。少しはいいこともないと人生やってらんないよね、私は心の中で彼女にそう話しかけた。
 バスは再び熱帯の闇夜に放り出された。初めざわついていた車内もほどなく静まりかえり、車内灯は小さな明かりに代わり乗客たちは眠りにつくものもいた。夜空をバックに後ろへ飛んでゆく森のシルエットにも、椰子の木が目立つようになってきた。私はガラスに額を押しつけて、いよいよアマゾンヘ足を踏み入れた興奮を押さえたりつついたりして、もてあそんでは一人で喜んでいた。

 そんな時だった。乗っているバスが、まるで歩く速さに感じられるような光景を私は目にした。それは私に空間の裂け目から、過ぎた昔を覗いているような思いにさせる光景だった。道路沿いに大きな椰子の木に抱かれるようにして、その家々は建っていた。家といっても、それは泥壁に囲まれた小さな部屋と壁のない土間があるだけのあずまや程度の小さな家で、屋根は椰子の葉でふかれていた。床は大地そのものだ。家の中にはハンモックと洗面器、それにわずかばかりの食器がちらりと見えるだけだった。もちろんドアもないし、三方だけが壁で中が丸見えの家もあった。
 ある家の前で、小さな子供たちが輪になってしゃがんで祈りを捧げているのが見えた。
 子供たちの真ん中にはこんもりとした丸い土の小山が盛られており、それをぐるっと取り巻くようにローソクが何十本も灯されていた。一心にローソクを見つめる子供たちの小さな顔がはっきりと見えた。次の家では、老いた男がたった一人で祈っていた。先立っていった連れ合いの供養をしているのだろうか、子供たちは町に出ていってしまったのだろうか。ローソクの光りに浮かんだ男の顔には深いしわが幾重にも刻み込まれていた。また、別の家では土間に小山をしつらえて、子沢山の夫婦が祈っていた。
 貧しい暮らしであることは一目瞭然だった。けれどもローソクの炎に浮かび上がった彼らの顔に貧しさゆえの苦渋は見られなかった。敬虔な祈りの姿勢のせいだろうか、それとも闇夜がそれらを覆い隠しているのだろうか。いずれにしても、心の底に刻み込まれるような美しい光景だった。その小さな村が過ぎ去り、再びジャングルのシルエットだけになっても、私の網膜にはバルビゾン派の絵のような、その光景が焼きついてしばらく消えなかった。私は小さかったころの田舎での、お盆の迎え火を思い出していた。

 ベレンが近づくにつれて、途中乗車する者が増えてきた。そしてそれが運転手のアルバイトであることもわかってきた。途中で乗せて途中で降ろしてしまえば会社にはわからないというわけだ。金は全部運転手のものになる。
 闇の中でバスが止まった。5、6人の男女が、それぞれ荷物を抱えて立っていた。交渉がまとまると例によって荷物を下のトランクに突っ込み、わらわらと車内に乗り込んできた。怪しい東洋人と思われたのか、私の隣にはその日の午後に、脚に20針近くも縫い目があり腕を石膏のギプスで固められたおばさんがしばらく座っただけだった。けれども座席もかなり埋まってきて、怪しげな東洋人の隣もいつまでも空けてはおけなくなった。
 髪の毛があごまで続いている、ぼろぼろのTシャツと青いジョギングパンツの男が、そこ空いてるかと聞いてきた。どうぞと応えると男はニコニコして隣に座った。汗と魚臭い強烈な匂いがした。そうか漁師なんだと私は思った。さっき男がバスのトランクに投げこんだ発泡スチロールの箱には夜の漁で取れたばかりの魚が入っているのに違いなかった。男は背もたれには背をつけず、子供がするように前の座席の背につかまって前の景色を見ていた。もっとも景色といってもヘッドライトに照らされた道路が見えるだけだったが。
 最初、バスに乗るのが珍しくてそうしているのかと思ったが、そうではないようだった。魚臭い匂いを座席につけないようにしているようだった。大漁だったのだろうか、彼は終始上機嫌だった。魚を売りに行くのかと聞くと、そうだと満面の笑みで応えた。どこから来たと聞くので、サンパウロだ旅をしてると応えると、ムイント・ボン、それは良いとまた無精髭だらけの顔を緩めていった。小柄だったがたくましい男だった。
 男は二時間ほど乗って、裸電球がクリスマスツリーのように下がる小さなフェイラ(露店)がぎっしりと並んだ場所で降りて行った。時計を見ると夜中の1時だった。こんな時間からすでに市が始まっているのだ。闇の中で裸電球に照らされた男たちが、上半身裸で魚や野菜を頭や肩の上に乗せて忙しく運んでいた。
 それから一時間近く走ったところで、バスはわりと大きなターミナルに滑り込んだ。予定では明け方の4時にベレンに到着の予定だったから、私はてっきりここがベレンに至る最後の大きな町だと思いこんでいた。もうすぐベレンだとわくわくしながら手荷物の整理をしていると、ほかの乗客がみんなどんどん降りていってしまう。もしやと思い、ある男にここはベレンかとたずねると、そうだと言う。予定より二時間も早く着いてしまった。まだ真夜中の2時である。
 デイバッグを肩に一番最後からステップを降りる。熱帯の果実の香りがする生暖かい空気が私を包んだ。深呼吸をしてみた。ねっとりとした比重の重い空気だった。私は、私にとってのテラ・インコグニタ、未知の大陸に一歩をしるした感慨にしばらく浸っていた。憧れのアマゾンに着いたのだ。

 けれども、ほかの乗客たちは自分たちの荷物を受け取り、さっさと夜の街に消えて行った。私はザックを手に、ひとりプラットホームに取り残された。そんな私を見て、客を捕まえそこなったタクシーの運転手が声をかけてきた。私は断わった。どこへ連れて行かれるか分かったものじやない、そう思ったからだ。それになるべく早く休みたかった。どうしょうと思ってあたりを見まわしたとき、さっきまで乗客の荷物を運んでいた男と目があった。彼も私の様子を見ていたようだった。
 ちょつと臆するような態度で彼は話しかけてきた。
「セニョール、宿を探してるのかい」
「そうなんだ、安いホテルはないかな」
「あるよ」と男は応えた。一泊500円ほどだという。
「この近くかい」
「すぐそこだよ」
 決めた。私がうなづくと、彼は私のザックをひょいと肩に担ぎ、ターミナルの外に向かって歩き始めた。

 さすがに街に人影はなかった。男はバスターミナルのフェンスに添って100メートルほど歩いた。目指すホテルに着くと彼はブザーを押した。しばらくして若い男が出てきた。荷物を運んでくれた男が、私が泊まりたいそうだと告げる。若い男は私の風体を確かめたのち、入ってと言って私を招き入れた。私はジーンズのポケットを探り、荷物を運んでくれた男にチップを払う。彼はポア・ノイチ、おやすみと言って微笑みと一緒に街に消えた。パスポートを出し、宿帳に所定の事項を書き込み、一泊なら前金で欲しいと言うので宿代を払った。私はレシーフェを発ってから40時間ぶりに、やっとベッドの上で寝ることができた。
 私に宛てがわれたのはフロントのすぐ後ろの道路に面した小さな部屋だった。床はレンガ模様に組まれた板張りで、壁は汚れたミントグリーン、3メートル50センチぐらいはありそうな高い天井はアイボリーに塗られていた。ペったんこの薄いマットがしかれた細いベッドが二つ、小綺麗なシーツは一枚だけ。小さな洗面台が入り口近くにあるけれど、シャワーやトイレはない。道路に面して窓がひとつ、泥棒よけに鉄格子がはまっている。窓粋がアルミサッシなのに気づき驚いた。
 荷物を降ろし、暗い廊下をトイレを探して歩く。静まり返った廊下のつき当たりの左側に、共同のトイレが並んでいた。部屋に戻り、蒸れたワークブーツとジーンズを脱ぐ。アマゾンはさすがに暑いなと思う。肌が汗でうっすらと湿っている。天井から銀色に輝く大きな三枚羽の扇風機が下がっている。それにしても静かだ。
 扇風機のスイッチを探した。入り口のスイッチをいじると裸電球が消えて真っ暗になった。洗面台の横のスイッチをいじる。
 グワオ〜ンというものすごい音とともに扇風機が回り始めた。まるで、ジェット機の爆音の様だ。天井ごとアマゾンの空へ飛んでゆきそうな勢いだ。それに、ものすごい音の割りにはかわいらしい風しか来ない。ブラジル人はものすごいものを作るものだと感心する。でも蒸し暑いよりはいいかとファンを回したまま部屋の電気を消した。しかし、音がものすごくて眠るどころじやない。結局、ファンを止めて眠りについた。

 翌朝目が覚めたのは午前10時過ぎだった。街はすでに喧騒の中にあった。私は荷物をまとめホテルを出た。あまりに強烈な陽光で、一瞬何も見えなくなったほどだ。道路の反対側のバスターミナルのフェンス際に黄色いワーゲンが一列に並んでいた。タクシーの列だった。運転手たちが車の外に出て暇そうにおしゃべりをしていた。私は彼らに向かって手を挙げた。すると集まっていた運転手たちは互いにおまえが行けよと譲り合っている。ずいぶんと欲のない人達だなと思って見ていると、中の一人がしょうがねえなあという感じでしぶしぶと車に乗り込み、私の前に車をつけた。立派な口ひげをたくわえた、ひょろっとした男が降りてきて、私の荷物を後部座席に入れた。
「スィダージ・ヴエーリヤ(旧市街)のこの住所のところへ行きたいんだ」
 そう言いながら、住所の書かれた小さな紙切れを見せた。
 彼はその紙切れを一瞥すると大きくうなずき、助手席のドアを開けた。私が乗り込むと彼は大事そうにそのドアを閉めた。そして彼は反対側に回り、乗り込む前に、道路の反対側で一部始終を見ていた仲間に向かっていかにも嬉しそうに、こう言った。
「だいじょうぶだ、彼はポルトガル語がしゃべれる」
 驚いたのは私だ。
 そういうことだったのか。訳のわからない外人の私をみんなで敬遠していたのだ。でも、何がだいじょうぶだって? だれがポルトガル語がしゃべれるって? ぬか喜びってポルトガル語で何て言うんだろう、あるいは早とちりって…。
 そんなことを考えている間に車は走り出し、ほどなく両側に幹の直径が1メートルはありそうな、大きなマンゴ並木の続く通りに出た。左右からたわわに張り出した枝葉が美しい緑のトンネルを作っている。マンゴの木は、おそらく虫除けのためと思われる白い石灰だろう、根本から人の背丈ほどの高さまできっちりときれいに塗られている。前を行く車やすれ違う車の屋恨には木漏れ日の光のシャワーが降り注ぎ、きらめきながら揺らめきながら流れて行く。白、ミントグリーン、スカイプルー、コーラルピンクなどに塗られた美しい邸宅が並ぶその街並は、一目で高級住宅街とわかる。アーチ型の窓やしゃれたバルコニーに見とれていると、タクシーは大きな公園にさしかかった。高層アパートの前を過ぎると公園に沿って車は右に曲がり、ホテルや航空会社の代理店や土産物屋、ファストフードショップなどが並ぶにぎやかな通りに出た。
 アマゾン河河口の街ベレンは想像していた以上に大きく、しかも垢抜けた街だった。アマゾンのパリと呼ばれるのは、ヨーロッパからの移民たちが辺境の地から遠いパリの美しい街並を懐かしんで無理やりそう呼んだのだとばかり思っていた。けれども、そうではなかった。車窓から見る街並のあちらこちらには、いくつものヨーロッパが顔をのぞかせていた。私は今すぐにも車を降りて街に飛び出して行きたい気持ちを、何度も飲み込むようにしてやっとこらえた。
 なだらかな坂道を下り始めたとき、私は前方の風景に目を奪われた。そして、初めにもしかしてと思い、すぐにまさかと思った。けれども、やはりそうかもしれないと思い直した。いや、きっとそうだ。そうに違いない。確かめる方法はひとつしかなかった。
 私は前方を指差しながら、ひょうひょうと運転を続けているひげの運転手に向かっておずおずと聞いた。
「セニョール、あれはアマゾン河?」
「スィーン」
 妙に長いイントネーションで、彼はそうだと応えた。どうしてそんなあたり前のことを聞くんだというような口調だった。
 これがアマゾン河かあ…。

 憧れのアマゾン河との突然の予期せぬ対面に、私の心は丸めた紙くずのようにくしゃくしゃになり、もつれた毛糸玉のように絡み合ってしまった。それは私が描いていたアマゾン河の風景とは似ても似つかぬものだったからだ。
 道路は坂の下でT字路になっていた。T字路の向こう側は左右から灰色の大きな倉庫がせりだしてきており、私の正面、下っている道路の先だけがぽっかりと開いていた。アマゾン河はそこに見えたのだ。両側から灰色の倉庫にすっぱりと切り取られた四角い大河。それが私にとってのアマゾン河との初めての出会いだった。
 気持ちの整理もできぬままにアマゾン河はどんどん近づいてきた。とろりとカフェ・コン・レイチ(コーヒー牛乳)色に染まった水面がゆらゆらと揺れているのが見える。遠くに森の陰が見えた。かなり大きな船が浮かんでいる。けれども私に見えるのは、雄大といわれるアマゾンの本当にわずかな断片に過ぎない。私は鍵穴から覗いているようなもどかしさを感じながら、その四角い風景を見ていた。
 突然タクシーが大きく左へ方向を変えた。河は見えなくなった。私はお預けをくった猫のように不機嫌になった。しかし、すぐに立ち直った。そうさ、アマゾン河はどこへも逃げて行きやしないさ。
 しばらくの間、左手には安ホテル、右手には大河を見せてくれない大きな倉庫が続いた。やがて倉庫はとぎれ、小さな露店がぎっしりと並んだメルカード(市場)が見えてきた。人と色と音と匂いの洪水の中を車は進んだ。公園の脇を抜け、大きなマンゴの木がある古い教会の前にさしかかったところで車は止まった。
 運転手は、さっきの住所を書いた紙をもう一回見せてくれと言った。彼はその住所を確かめると、親指を立ててうなずき再び車を走らせた。車は旧市街のとあるブロックヘと入って行った。石畳の道はでこぽこしていた。両側の家は、先程の高級住宅街とは違い、かなり古びたものだった。各家々はくっつきあい、ブロックごとにつながっていた。外敵の侵入を防ぐ街の造りだ。
 運転手は、各家のドアの横についている番号をひとつひとつ確かめながら、ゆっくりと車を進めた。そして、ある家のドアの前で車を止めた。彼はその家の番号と、私の渡した紙に書いてある住所の番号を比べて言った。
「セニョール、エッセ・アキ(ここだよ)」
「アキ?(ここ?)」
 どの家にも表札は出ていなかったが、ペンションをしているなら看板ぐらいは出ているだろうと思った私は、思わずけげんな顔をしてしまった。すると彼は親切にも車を降りてその家のベルを押し、その家が私が探している日系人のやっているペンションなのか聞きに行ってくれた。私も彼に続いて車を降りた。
 中から顔を見せたのは日系人ではなく、太ったブラジルの中年の女性だった。聞くと、その家はペンションなんかやっていないということだ。運転手が、この近くに日系人のやっているペンションがあるかどうか訪ねたが知らないということだった。

 困ってしまった。
 私たちは車に戻った。彼は、私にこの番号で間違いがないのかと聞いた。貧乏旅行者の同人誌に載っていたものをそのまま書き写してきた身としては、自信を持って間違いないとは言えない。私はたぶんねと応えた。彼は番号が違っているのかもしれないといって、ゆっくりと車を走らせながら、左側の家々をひとつずつ確かめて行った。そして目指す家が無いとわかると、一方通行のその道を抜け、ぐるっと回ってもう一度振り出しに戻り、今度は右側の家々を見て行った。だが、それらしい家は遂に見つからなかった。途中で、こじんまりしたバールで一杯ひっかけていた男たちにも聞いてみたが、そんなペンションはまったく知らないということだった。
 すっかり困ってしまった。
 どうしようかと思っていると、彼が間違っているのは番号ではなくて通りの名前かもしれないといい始めた。それはないだろうなと思ったが、彼のせっかくの親切を無にするのも悪いと思い、その道と平行に走る両隣の通りの同じ番号の家を訪ねることにした。が、思ったとうり探し求めるペンションは無かった。
 本当に因ってしまった。

 私が、その日系人のやっているというペンションに泊まりたいのには、理由があった。
私はアマゾンの日系人の入植地の人々に会い、話を聞き、できればその地を訪れてみたいと考えていた。それには、そのような人たちがベレンに出てきた時に利用すると思われる日系人のやっているペンションに泊まるのがが最適だろうと考えたのだ。
 でも、見つからないのならしょうがない。きっとどこかへ引っ越してしまったのだろう。しょうがない、とりあえず港の近くの安宿に落ち着こう。ベレンには日本料理屋もあるというし、そこでツテもできるだろう。そう思ったときだった。
「オーリャ・アイ(見て)」運転手が指さしたほうを見ると、そこには一軒の小さなファルマーシア(薬局)があり、その店先に白髪混じりの日系人と思われる男の人が立っていた。
 私は車から降りるとその男性に話しかけた。
「あの、すみません。日本語わかりますか」東洋人だからといって日系人だとは限らない。それにたとえ日系人だとしても日本語が話せるとは、また限らない。たとえば、サンパウロに住む私のいとこたちはほとんど日本語を話すことができない。
「ええ、分かりますよ」彼は店先から歩道に降りてきながらそう言った。私はペンションの住所の書かれた紙を彼に見せて、その住所を訪ねたけれどまったく別のブラジル人が住んでいたことを話した。タクシーの運転手も私の横に来ていた。
「ああ、このペンションは、もうずいぶん前に止めて引っ越しちゃったよ」
 やはりそうだったのか。運転手は、当然私たちの日本語がわからず、当惑しながら二人を交互に見ている。
「でもね、このすぐ近くに鈴木さんていうおばあちゃんがペンションやってるよ」
「え、本当ですか。住所わかります?」
「ええ。フア・ドクトル・マルシェの確か…」といって番号を教えてくれた。
私が、さっきから何がどうなっているのか知りたくてやきもきしている運転手に、事の次第を何とか伝えようとすると、その男性が代わって彼に話してくれた。
 よかった。我々にやっと微笑みが戻った。
「ヴァモス(行こう)」
 私はその男性にお礼を言い、車に乗り込んだ。運転手は、とにもかくにもやっと着陸地点が決まったので、やれやれという安堵の表情をしていた。

 目指す鈴木さんのペンションは、すぐに見つかった。車から降りベルを鳴らすと、しばらくしてガチャッと音がしてわずかにドアが開き、12、3歳のブラジル人の女の子が防犯用のチェーンを掛けたまま不審そうな目で見上げながら聞いた。
「ケン・エ?(誰?)」
 あら、また違っちゃったかな。うしろにいる運ちゃんの視線を背中に感じつつ、困っちゃったなと思いつつも
「アキ・エ・ペンサォン・スズキ?」と聞くと、不審そうな表情はそのままで
「スィン(はい)」と言う。
 ああ、よかった。私は彼のほうを振り向き。握りこぶしの親指を立てて微笑んだ。彼もそれに同じ様に応えた。やれやれという表情で…。
 少女はちょっと待ってと言うと奥に消えた。やがて日系人の男性が現れ、続いて眼鏡をかけた温厚そうな70歳ぐらいの女性が顔を見せた。
「あのう、泊めていただきたいんですけど」
「いいですよ、こんな所で良ければどうぞ」
「お願いします」というわけで、私の宿はやっと決まった。
 タクシーから荷物を降ろし、タクシー料金を払おうと値段を聞いた。彼は車からインフレのための換算表を取り出して計算すると、値段を言った。私がそのとうりに払おうとすると、横から鈴木のおばさんが口をはさんだ。
「あんた、どこから来たの」と私に聞く。
「ホドビアーリア(バスターミナル)からですけど…」
「あんた、そりや高いよ」と言って運転手に何か言った。
 私が、いやそうではなくてと事の顛末を話し始める前に、血相を変えた運転手が冗談じゃないようと、早口でまくしたてた。
 そりゃそうだ。
 彼の説明で、鈴木のおばさんも納得した様だった。
「そりゃしかたないわ」
 私は彼が提示した通りの金額を払い、さらにほんの少し気持ちを上乗せした。
 親切なその運転手はにこにこと、本当にやれやれという表情で車に乗り込み、私が手を振ると苦笑いをしながら手を振り、バタバタと派手な音を立てて去って行った。
 よかった、よかった。


●CONTENTS
はじめに、そして最後に 息子達へ、ブラジルの友へ
サンパウロからレシーフェ
ブラジル・レシーフェ
オリンダ
レシーフェからベレンへ
アマゾン・ベレン
アマゾン・マナウス
アマゾン・サンタレン
ブラジル・リオデジャネイロ
ブラジル・サルバドール
ボリビア
ノルウェー

HOME
文・写真:HAYASHI Moriyuki


●お問い合わせ・取材、原稿依頼・感想などは、contactのページからメールをください。
ページトップへ
Ads by TOK2