神が作った庭園、リオデジャネイロ<Rio de Janeiro>
 グアナバラ湾に突きだしたリオの街は、いくつもの三日月型のプライア(浜辺)があり、その浜に沿って高層ビルが林立している。その背後には湖を抱き、さらにポン・デ・アスーカル(砂糖パン)と呼ばれる急峻な岩山に取り囲まれている。空から見たリオは、まるで神様が作った美しい箱庭のようだ。
 コパカバーナの海岸通りから少し陸側に入った、高層アパートの12階のドミトリーに、私は宿泊していた。入り口には、拳銃を下げた私設のガードマンがいて、ストリートギャングは入れないようになっている。部屋はいくつかあり、二段ベッドがふたつ置かれていた。カーニバルが近いので、どの部屋もバックパッカーでいっぱいだった。
 12階の窓からは、同じ高層アパートの人々の暮らしが見える。ガラス張りで外から丸見えの部屋があった。インドアプランツがぎっしりとジャングルのように飾られていた。いつも裸の男女がたむろしてパーティーをやっていた。

 高層アパートの奥には急峻な山があり、へばりつくように貧民街、ファベーラが広がっていた。不法占拠のファベーラにも大家がいる。大家がひいた水道や電気を各家庭にまわし料金を取っている。マナウスの貧民街でもそうだった。ほとんどは気のいい善良な人たちだが、マフィオーゾ(マフィア)がいるのも事実だ。いずれにしても無法地帯なので、観光客が足を踏み入れる所じゃない。
 1月、南半球のリオは真夏だ。灼熱の太陽が照りつけ、最高気温は40度以上になる。プライアには、朝でかけて10時には帰ってくる。地元の人はみんなそうしている。10時を過ぎて日光浴していたら火傷してしまう。熱くなった砂浜は、素足ではとても歩けない。ボサノバに「3月の雨」という名曲があるが、秋のもの悲しい気分を歌ったもの。春の歌ではない。
 プライアには、タンガという極小の水着をつけた女性たちが集まる。小ささはエスカレートし、フィオ・デンタル(歯の掃除をする糸)という水着まで出現した。しかし、知り合ったカリオカによると、誰でも似合うというわけじゃないんだ、とのこと。イパネマの娘たちは、髪の毛と同じように、下の毛のお手入れにも手を抜かない。きれいに刈り揃えている。本当かどうか知らないが、下の毛を手入れしてくれる美容院もあるそうだ。ノッサセニョーラ!

 実は、リオにはあまりいい思い出がない。最初の時は、ナイトクラブで飲んだ水割りの氷にあたって、水を飲んでも下してしまうようなひどい下痢をしたし、2回目の時は乗換の便の場所が分からずあたふたし、3回目は思い出したくもない。
 新婚旅行で行ったときは、便が遅れた上にいつまで経っても荷物が出てこない、やっと出てきたと思ったら、アマゾンへの乗換便はすでに出る時間。重い荷物を引きずって、ロビーを上へ下へ全力疾走するはめになった。
              
 そんなリオでの唯一楽しい思い出は、初めて行ったときに、マラカナンスタジアムにフラメンゴ対サントスのフッチボール(サッカー)の試合を観に行ったことだろう。とにかくブラジル人は、特にカリオカはフッチボールとカルナヴァルで生きているといっても過言ではない。おっといけない、もうひとつガロッタ(女)がいる。しかし、前のふたつに夢中になるとセニョリータは忘れられることも多い。マラカナンは、イングランドのウェンブリーと並んでサッカーのメッカと言っていい。最高で22万5千人も入った記録があるそうだ。国立競技場の約4倍である。その迫力は比べものにならない。
 私が観た試合に何人入ったかは知らないが、好カードだっただけに、超満員だった。二階席の最前列からは巨大なフラッグが何十本とうち振られ、サンバのリズムがスタジアムを震わせる。花火が上がり、煙幕がもうもうと立ち上がる。マラカナンはフラメンゴのホームだ。メンゴー!メンゴー!という大合唱がリオの夜空をうち振るわせるように轟(とどろ)く。サントスのサポーターもいるのだろうが多勢に無勢。生きて無事に帰れるか分からない。最大級の罵詈雑言が浴びせられる。アウェイのチームは、しばしばスタジアムから出られなくなることもあるという。

 一階席の前の方は命がけだ。つまらないプレーを選手がすると、二階席からありとあらゆるものが降ってくる。紙コップに入った小便まで降ってくる。ピッチの周りには、動物園の猛獣の檻のように深さ数メートルの溝があり、その外側には、トラックフィールドほどの幅がある立ち見席がある。上から見ていると、そこではしょっちゅう喧嘩が起きていた。現在は、あまりに危険なので廃止された。マラカナンは、日本人の物差しでは測れない別世界だ。
 試合は4対1で地元フラメンゴの勝利。ゴールが決まるたびに夜空が割れるんじゃないかというような歓声が響いた。選手の技術も戦術も、当時の日本リーグとは月とすっぽんほどの差があった。芸術的なスルーパス、美しいワンツー、華麗なフェイントに振り向きざまシュート。私はブラジルサッカーの魅力に完全に取り付かれてしまった。

 最初にこのスタジアムを訪れたとき、まだ日本にはJリーグも無かった。隠れサッカーファンであった私は、嬉しさと羨ましさで感涙にむせんだものだ。日本にいつプロリーグができるのだろう。私が生きている内に日本がワールドカップに出場することなどあるのだろうか。そう思うと、絶望の淵に沈んだものだ。
 だからJリーグが出来たときには本当に嬉しかった。ドーハの悲劇を経て、ジョホールバルの喜劇?からフランス大会に出場が決まったときは、一晩中飲み明かしたものだ。そして日韓W杯でのベスト16。数多くの選手が欧州へ移籍。夢じゃないだろかと思う毎日であったが、人間とは欲深なものである。次はベスト8だなとか、生きている内に優勝が見たいとか、勝手なものである。ブラジルの友人が聞いたら10年、いや50年早いよというだろうか。
 今は息子のサッカークラブが年に二度ほど開催する親子サッカー大会で、大人げなく本気になって子供と対戦している。この間の大会では、4ゴール3アシストと大活躍で、試合後は美酒に酔った。もちろん代表の試合やJリーグも、機会が有れば出かけている。動物行動学のデズモンド・モリスによれば、サッカー選手は、姿を変えた狩猟者の群れとみなすことができるそうだ。殺傷力のある武器は無害なボールとなり(時に凶器だが)、獲物はボールに変わった。そして狙いが正確で、得点できた時には、獲物を殺した狩猟者が味わう勝利の喜びを得るのである。とある。<デズモンド・モリス著「マンウォッチング」小学館>

 帰国後に1956年発行のブラジルの写真集を手に入れたが、当時からコパカバーナやイパネマ、レブロンと続く海岸には白亜の高層アパートやホテルが建ち並んでいた。モザイクタイルの広い歩道を挟んで白いビーチには、たくさんのカリオカが日光浴や海水浴を楽しんでいる様が写っている。インフラストラクチャーは、戦後間もない当時の日本よりはるかに進んでいた事が分かる。
 現在、もちろん70年代前半のブラジルの奇跡と言われた高度経済成長も経て新しい建物も増えているのだが、基本的に街の構造は変わっていない。そこが東京とは大きく違うところだ。どんな規制があるかは知らないが、日本のように唐突に黄色いビルがあったり、建築家の売名行為のような周囲との調和も考えない突飛な建築物や派手な看板で溢れていることもない。日本人がイメージするカーニバルに代表される派手で賑やかな混沌としたイメージとは違うのがブラジルの都市だ。
 ただし、かのブラジリアを設計したオスカー・ニーマイヤーの建築だけは別だ。所々に彼の設計した建築物が、宇宙から舞い降りた巨大彫刻のようにたたずんでいて驚かせてくれるが、不思議と街になじんでいる。

 食事は、ハンバーガーショップやセルフサービスのレストランによく出かけた。ローストビーフに野菜炒め、ピラフ、キャベツの煮物など好きな物を選べる。アマゾンでは当然のようにファリーニャ・デ・マンジョーカの入った壺が置かれているが、ここリオではそんなことはない。あとでアマゾンに帰ったときに、居候先の15歳の少女にこれを話したら、「じゃあ、なにが置いてあるの?」と聞かれた。黒コショウと塩とビネガーだと答えると、不思議そうな顔をしていた。アマゾンの人にとってファリーニャのない食事など考えられないのだ。彼女はバナナにまでファリーニャをつけて食べていた。
 ある夜にハンバーガーショップで注文を取り、出来上がるのを待っていた時のことだ。上半身裸の短パンとスニーカーの若者が斜め後ろにいるのに気付いた。見ると、顎を上げてこちらを見ている。おそらくハンバーガーが出てきたら奪い取って逃げるつもりなんだろう。どうしようかなと思ったときにガードマンが来てそいつを追い払った。彼は渋々と引き下がった。こんなことは日常茶飯事なんだろう。一日一食も食べられない人間がこの街にはたくさんいるに違いない。

 最初にリオに滞在したのは、カルナヴァルの2週間ほど前だった。日毎に街はカルナヴァルに向けて盛り上がってくる。夕方浜辺に散歩に行くと、浜辺に面したカフェレストランのテーブルに、娼婦がたまっていて声をかけてくる。裏道の壁際に、ストリートギャング達が獲物を求めてたむろしている。酔っぱらった浮浪者が椰子の木の根元で眠っている。
 歩道に出ると、サンバの行進がやってくる。ティーンの女の子達がサンバのステップを踏む。やがて人が集まり踊りの輪ができる。あちらこちらでそんなカルナヴァルを待ちきれない人の輪ができる。高層アパートと街頭の光が、遙か遠くまで美しい弧を描いている。沖にはクルーザーが何隻も浮かんで瞬いていた。群青の空に激しいサンバのリズムが弾けては消えていった。陽気なリズムだけれど、クウィーカの調べはどこかもの悲しくもあった。
 ある夜に、競馬場のあるロドリーゴフレイタス湖沿いに車を走らせた。湖に映りこむ街の明かりは息をのむほどに美しい。イパネマには、ボサノバのスタンダードの名曲、「Garota de Ipanema(イパネマの娘)」の題材になった同名の酒場がある。高級ブティックのあるファッション通りを抜け、レブロンのディスコへ行った。地元の裕福な家の若者達が集まるところだ。みんなモデルにしたいほどかわいくハンサムだ。黒人はいない。
 神様の作った美しい庭園にも、光と影があった。

 最後にリオを離れて日本に向かうとき、夜の便はコパカバーナからイパネマ、レブロンの海岸をなめるように飛んだ。豪華なネックレスを放り出したような光の首飾りが窓から見えた。ブラジルを去る寂しさがこみ上げてきたとき、隣の若いブラジル人の父親が、窓際の小さな娘の肩を抱きしめながらつぶやいた。
「チャオ、チャオ、ヒウジジャネイロ…」
小さな娘も同じ事をつぶやいた。
 眩い光の首飾りは、やがて漆黒の淵に小さくなって消えていった。
そして私はつぶやいた。
「チャオ、チャオ、ブラズィウ…」



 コパカバーナの海岸には昼の顔と夜の顔がある。


この街にはボサノバがよく似合う。

 富める者も貧しい者も、楽しむために人生はある。


サウージ エ サウダージ。

可愛い娘もおばさんも、みんなプライアが大好き。
●CONTENTS
はじめに、そして最後に 息子達へ、ブラジルの友へ
サンパウロからレシーフェ
ブラジル・レシーフェ
オリンダ
レシーフェからベレンへ
アマゾン・ベレン
アマゾン・マナウス
アマゾン・サンタレン
ブラジル・サルバドール
ボリビア
ノルウェー


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文・写真:HAYASHI Moriyuki


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