ブラジルのベネチア、レシーフェ <Recife>
 サンパウロから50時間のバスの旅の末にようやく着いたのがレシーフェ。植民地時代の面影を残す旧市街は、運河と橋に囲まれ、ブラジルのベネチアとも呼ばれる。その旧市街のはずれに、目指すサンジョゼ市場はあった。
 メルカード(市場)には薬草やワニや獣の皮の匂いが混じって、不思議な匂いが漂っている。レシーフェのあるペルナンブーコ州は、宝石の産地でもある。宝石の原石やアクセサリーを売る小さな屋台がずらりと並んでいる。アクアマリン、トパーズ、エメラルド、ガーネット、アメジスト。宝石好きな人にはたまらない街だろう。
 生きた大蛇アナコンダと鯨の尾びれを置いて、がまの脂売りよろしく塗り薬を売る香具師のだみ声が響く。壊れたものしか売っていない泥棒市。オイ!ジャポネースと声をかけてくる女子プロレスラーのような娼婦。
 一人旅の初めに訪れた街は、カルチャーショックを受けるに充分な熱気と喧噪と胡散臭さにあふれていた。なんて楽しい街なんだ。私はそう思わずにはいられなかった。

 ヘイ! 俺がピンガを一気飲みするから写真を撮れよ!と泥ガニを売っている男。粗末な屋台でコップ一杯のピンガ(ラム酒)を一気飲みしてみせる。シャッターを押すと、酒代はたのむぜとウインクする。単純な手口に騙されてしまったが憎めないやつだ。
 さらに写真を撮っていると、必ずファインダーの中に同じ少年が入っている事に気づく。カメラを左右に振るとものすごいスピードで入ってきてポーズをとる。あっ!てめぇーとにらんだら、肩をすくめて笑う。この市場で母さんと姉さんが屋台のレストランをやっているんだという。そこで昼飯を食うことにする。カショーホ・ケンチ(熱い犬)、つまりホット・ドッグを食べる。一般的なブラジルのパンは不味い。叔父に言わせると、いい小麦はみんな輸出にまわしてしまうからなのだそうだ。
 写真を撮るときは無防備になる。その少年に、暇だったらガイド役も兼ねて俺と市場を回らないかと言うと、いいよと言ってついてくる。立ちんぼの娼婦。ブラジルのラム酒、ピンガを染み込ませた煙草の強烈な匂い。喧嘩。観光客が来る所じゃない。けれども、ほとんどの人はとても人なつこい。私を撮ってとポーズをとる売り子。兄ちゃん!一気飲みするから俺を撮れよと酔っぱらいのおやじ。その手にはもうのらないよ。歯が無いばあちゃんもにっこり笑ってポーズをとる。ガイドの少年の友達がわらわらと集まってきて並んで撮れ撮れとわめく。そのうち撮ってるんだか撮らされてるんだかわからなくなる。

 別の日、同じ市場に行く。カウンターだけのレストランに入る。俺はもと船乗りでね、日本も知ってるよ。コーベ、ニイガタ、いい街だったよ、とレストランの主人。
 ご飯の上に牛肉の薄切りとトマト、豆をトマト味で煮たもの、サラダをのせる。それらの上にマンジョーカの芋から作った鶏の餌のようなファリーニャというものと、ものすごく辛いピメンタをかけて、全てをグチャグチャにかき混ぜて食べる。口と胃の中でする事を、皿の上で3分の1位済ませてしまうのがブラジル流なのだ。
 左隣の17歳位の女の子は、肉も豆もサラダもすべてごはんの上にのせると山のように激辛のピメンタをかけた。そして、5分ぐらいかけて皿の上のものをすべて微塵にし、丹念に丹念に混ぜ合わせ、それからようやく食べ始めた。ものすごいピメンタの量を除けば、この猫飯はけっこううまい。けれども、この食べ方の欠点は、ひとつひとつの料理がなんだったのか、どんな味なのか分からなくなるところにある。

 右隣の老婦人は、半分食べてから残りをビニール袋の中に入れていた。自分の夕食の分か、家で待っている外出できない連れ合いの分かもしれない。
 5歳位の男の子が、3歳位の女の子を連れてやってきた。女の子は泣きべそ顔だ。二人とも顔は真っ黒で、服も汚れている。手には、トマトピューレの大きな空き缶を持っている。それを私にグイッとつきだした。私は食べ終わったところで、皿には何も残っていなかった。何もないんだよというと、悲しそうな目をして隣の店に行った。

 ある日のこと、昼食を屋台ですませた私は、運河にかかる橋のたもとの木陰に腰を下ろして休んでいた。時計はすでに午後1時を回り、灼熱の太陽が街を焼いていた。まわりには失業中と思われる男たちが力なくたたずんでいた。街のあちこちの広場で見られる風景だった。
 パンパカパンパカと木のふたを鳴らしながらカフェズィーニョ売りの少年が前を通りかかった。ブラジル式にプスーッ!と口を鳴らして彼を呼び止めた。彼は小さなプラスチックのデミタスカップにポットから甘いカフェズィーニョを注いでくれる。初めは何て甘くてほこり臭いコーヒーなんだろうと思っていたが、その味にも慣れてしまった。まわりの男たちを見るとチビチビと飲んでいるが、私は二口ほどで飲みほしてしまった。
「クァント・エ?(いくら)」と聞いた。彼は少し口ごもりながら値段を言った。えっ?私は聞き返してしまった。…聞こえなかったからではない、彼の言った金額がどう見ても高すぎると思ったからだ。彼は同じ値段を繰り返して言った。高いじやないかと私が言うと、決まっていることだからと譲らない。おそらく外人観光客にはその値段で売れといわれているのだろう。少年は困ったような顔をした。
 だいたいがたいした額ではないし、子供相手に値切るのもかわいそうだと思った私は、その代金を払おうと財布を出したが、あいにくと小銭がなかった。彼に紙幣を一枚渡すと、さも困った表情をしてお釣りがないと言った。これしかないんだと言うと、彼は友達らしいピコレ(アイスキャンデー)売りの少年に声をかけたが、やはり釣りはないようだった。少年は躍起になってあちこちで両替しようとしたがだめなようだった。そのうち彼の姿は紙幣を持ったまま通りの向こうの屋台の人込みの中に消えてしまった。
 そのときは私は彼は必ず戻って来ると思っていた。旅に出てから私は自分の人を見抜く力が増したと感じていた。それこそが自分の身をを守る何よりの力であるに違いなかった。


レシーフェのツッパリ?いやいや笑顔が素敵な少女たち。

さとうきびジュースの屋台。

 しかし、いつまでたっても彼は帰ってこなかった。暑い日の光が木の影をくっきりと歩道の上に焼きつけていた。日陰にいても火を吹きそうな程の熱気だった。どのくらい時がたっただろう、私は彼は帰ってこないと思い始めている自分に気づいた。そう思うに十分な時が流れたとも思った。自分の人を見る目というのもまだこんなものだったのかと気落ちした。顔を上げると道路の向こう側の屋台が熱気で揺らいで見えた。歩いて歩いて歩きまわって少し疲労がたまっているのかもしれないとも思った。
 その時だった、揺らいでいる風景の中から一人の少年がやはり揺らぎながら抜け出てきた。肩からはポットの入った木箱を重そうに下げている。彼は私の姿を見つけるとヤレヤレといったふうにため息をつき、何度も木箱を担ぎ直しながら道路を渡ってきた。私の前まで来ると、彼は半ズボンのポケットからくしゃくしゃに折りたたんだ札束を取り出し私に手渡した。数えると小額紙幣がちゃんと10枚あった。私はそこから3枚抜き出して彼に渡した。
 彼がそれを受け取ったところで、私はもう1枚を抜き出し彼に渡した。彼は少しとまどつた表情でオブリガードといってそれを受け取った。私としては長い間両替のために走り回ってくれた彼へのねぎらいの意味もあったのだが、同時にわずかでも彼を疑ったことへの罪悪感があってのことでもあった。
 しかし彼は決して儲かったという顔はしなかった。おそらく雇われていることとはいえ法外な値段でカフェズィーニョを売ったことにたいして少なからず罪悪感を抱いたのかもしれなかった。そのとき私の横2メートルほどのところにいる男が彼を呼んだ。彼は呼ばれるままにその男のもとへ行きコーヒーを注いだ。男が金を払うところを私が見ていると、ちょうど小残1枚を受け取ろうとした少年と目が合った。それは私に言った値段の5分の1の金額だった。彼はまずいところを見られたという顔をした。私は微笑んで見せた。彼は苦笑いしながらも、一瞬意外そうな表情を見せて立ち去った。
 私は何とも言えない複雑な思いで暑さで揺らぐ街の風景を見ていた。

 しばらくして、さっきの少年よりは少し年長の少年が来て私の横に腰をかけた。私が彼を見やると彼はまぶしそうな目で私を見上げ、あんたはパウリスタ(サンパウロの出身)かと聞いた。いやジャポネースだブラジル中を旅しているんだと答えると、彼はそうかそうかというふうに大きくうなずいた。態度の大きい大人びた少年だった。
 彼は足下の発泡スチロールの箱からマラクジヤ(パッションフルーツ)のピコレを取り出すと、食えよといって私に差し出した。いらないと答えると、いいから食えよと半ば強引に私に持たせた。じやあと、私が金を払おうとすると、金はいいんだよといって受け取ろうとしなかった。私はオブリガードといってそれをなめた。マラクジャのピコレは私の大好物だった。
 気がつくと周りには12歳前後の少年が5、6人集まっていた。どの子も肩にピコレやカフズィーニョの箱を下げていた。その中に先程の少年もいた。きっと彼が気前のいいジャポネースがいるといって皆を呼び集めたに違いなかった。私の隣りに腰をかけた少年は、どうやら彼らのリーダー格らしいことがわかった。彼らは好奇心にあふれた眼差しで私を取り囲んだ。売り物のピコレをなめているやつもいる。
「空手ができるか?」とリーダーが聞いた。またかと私は思った。

 ブラジルでは日本には二つの職業しかないことになっているらしい。ひとつはコンピューターエンジニアであり、もうひとつが空手家だ。前者を口にするのはちょっと学歴のある人で、それ以外の人はまず最初に空手やるかと聞く。
 旅の準備のひとつに長旅に耐えられる身体を作るということがあったが、その中に私は空手の息吹きを取り入れた。呼吸器官と内蔵を鍛えるためだった。だから、わずかではあるけれど多少の知識はあった。だが、正式に誰かについて習ったことがあるわけではないので空手はできないと答えた。すると彼は思いのほか落胆した顔をして、知らないのかとつぶやいた。
 あまり彼ががっかりした顔をするので、確かに空手は知らないけど柔道と剣道ならやったことがある、日本の子供は学校で必ず何かひとつは習うんだと答えると、彼の顔がやっと輝き、そうかそうかと大きくうなずいたのだった。まわりの子供たちも、そうだろうそうだろうと大きくうなずいた。おまけにと、ただの腕立て伏せで鍛えた二の腕の筋肉をもっこりとふくらませて見せると、どよどよとざわめいた。
 私は子供たちの期待を裏切らずに済んだようで安心した。面白いやつがいるぞと友達を連れてきた最初の少年の面目もつぶさずに済んだというわけだ。彼は、どうだ面白いやつを見つけただろう、とでも言うように少し得意そうな顔をしていた。
 そのあたりは彼らの縄張りらしく、その後も何度か彼等を見かけることがあった。合う度に親指を立ててほほえむと、少し照れたような顔で同じ挨拶を返してくれた。

 レシーフェの街から15分ほど車で行くと、ボア・ビアージェン海岸に着く。大西洋に面した椰子の木がはえる白砂の海岸に、瀟洒なレストランや高層ホテルが並び、浜辺にはタンガと呼ばれる極小の水着をつけた女性たちが日光浴をしている。サンドバギーや日本製のバイクで男たちが集まる。抱き合う恋人たち、沖を走るクルーザー。流れるブラジリアン・ポップス。そこはレシーフェの旧市街とは全く違う別天地だった。

写真いいですかと聞いたら、直立不動。


大きなスイカは甘くて美味い。

トマト安いよー!と陽気な兄ちゃん。

とても親切にしてくれた屋台のおばちゃん。
 
とにかく活気のあるメルカード。

ブラジルでは幸運の印。

 
こんな写真機見たことがない。博物館入りだよ。

フレーボを踊る少女たち。


 
レシフェの情報を色々教えてくれた土産物屋のおねえさん。

プライアの美少女。


いっちょまえ。

アフリカとポルトガルと先住民との混血?

日本製のバイクはステイタスなんだね。


 
海岸の土産物屋に並ぶ彫刻。

大西洋から上がってきた母子。

 
愛車に彼女を乗せて海までツーリングしてきた。
 
陽光の中の娘。


CONTENTS
はじめに、そして最後に 息子達へ、ブラジルの友へ
サンパウロからレシーフェ
ブラジル・レシーフェ
オリンダ
レシーフェからベレンへ
アマゾン・ベレン
アマゾン・マナウス
アマゾン・サンタレン
ブラジル・リオデジャネイロ
ブラジル・サルバドール
ボリビア
ノルウェー

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文・写真:HAYASHI Moriyuki


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