世界遺産の街、花の街、オリンダ<Olinda>
 レシーフェから車で20分。海岸から続く丘の上に、ユネスコの世界遺産に指定されたその街はある。ブラジルが誇る古都オリンダは、椰子の木と色とりどりの花に埋もれたオランダ風のコロニアル建築の並ぶ美しい街だった。
 あいにくの小雨混じりの天気で、厚い雲が低く垂れ込めていた。私を乗せたタクシーは、町の入り口にある海岸べりの小さな広場に滑り込んだ。タクシーを降り立った私はあまりの静けさに、しばらくの間呆然としてその場にたたずんでいた。さっきまでいたレシーフェの、1秒たりとも気を抜けない危険をはらんだ喧騒との落差に、張りつめていた神経が一瞬のうちに弛緩してしまうようだった。
 そのとき一人の少年が近づいてきた。彼は学校の制服だろうと思われるロゴの入った清潔な白いTシャツを着て白いショートパンツをはき、こぎれいなスニーカーを履いていた。きれいに撫でつけられた髪と利発そうな目が印象的だった。
「こんにちはセニョール、オリンダヘようこそ。ところで、ギア(ガイド)はいかがですか」
 そういうことか、なるほどと、私は彼にかまわず歩き始めた。この町は一人きりで誰にもじやまされずに静かに歩きたいと思っていた。せっかくレシーフェの喧騒から逃れて来たのに冗談じゃない。レシーフェのホテルでオリンダの観光地図だってもらってきた。ガイドなんかいらない。
 私はかまわずにどんどん歩いた。が、彼も負けてはいなかった。私にぴたりと寄り添い胸のポケットから何やら身分証明書のようなものを出し、ほら見てよセニョール。本物のギアの証明書だよ。これを取るのは大変なんだ、すごく難しいんだなどとまくしたてる。ヘーどれどれなどと、つい立ち止まって見ると、写真付きの立派なものでオリンダのガイドと大きく書いてあり、なにやらごたいそうなものだ。彼は胸を張って得意気だ。名前はルイス。14歳。
「ウ〜ム、オッチモ! (最高!)」私はそう言いながら証明書を彼に返した。彼がますます得意そうになっているのを尻目に、私はかまわず石畳の坂道を丘の上に向かってどんどん歩いていった。
 いらないと言ったらいらないんだ。一瞬肩すかしを食らった彼だがそこはブラジル人。すぐに立ち直り、再び売り込みに出た。
 私もそう簡単には引き下がれない、一人になりたいんだよ、静かに歩きたいんだ。私は再び立ち止まり言った。
「僕はポルトガル語がわからないんだ。だからガイドはいらないんだ」
「セニョールはポルトガル語をしゃべっているじやないか、だいじょうぶさ。え〜と、オリンダは1537年に…」
 ぽ−っとしていた頭が更にぽ−っとして来た。私の負けだった。
「わかったわかった、一緒に行こう」
「スィン、セニョール。え−オリンダは1537年に…」
 それからの彼は、堰を切ったように澱み無くしゃべりだした。私はぽ−っとした頭で、彼のガイドを右の耳から左の耳へと澱み無く流していった。石畳の急な坂道を歩き、いつしかオリンダの丘の頂きに来ていた。振り返って見たその美しい光景に、私は思わず声をあげた。
「オー・リンダ(おお美しい)」

 オリンダという名前は、最初の領主のドアルテ・コエーリョが、ここから見た風景のあまりの美しさに、思わずオー・リンダと叫んだことからつけられたといわれている。彼ならずとも思わず声をあげてしまうだろう美しい風景だった。私たちのいる頂きからはるか下の海岸まで、丘は椰子の木を初めとするさまざまな木々の緑で覆われていた。そして、それらの多くは今を盛りと百花繚乱の色模様。様々な熱帯の花の華やかな色があふれ、甘い香りが絶えることなく漂っていた。
 緑の中に埋もれるように建つ家々は手入れが行き届き、蒼く美しいタイル張りの家も随所に見られた。これらのタイルは、ポルトガルではあまり残っていない貴重な物だという。時折出会う町の人も穏やかで、ゆとりが感じられた。レシーフェのような緊張はこの町には無かった。レシーフェで時折感じた憎悪や絶望の眼差しというものもこの町にはまた無縁のものだった。
                   
 ルイスは実に見事なガイドだった。ほぼ半日にわたり私をガイドしながらオリンダ中の主だった教会や美術館をまわった。そして、その間中彼は澱み無くそれらの歴史について話し続けた。その記憶力は半端なものではなかった。
 彼が言うようにそのガイドの資格を取るのは大変なことに違いなかった。クラスでもこれを持っているのは一人か二人なんだというルイスの話も本当だろうと思われた。彼は優等生なのだ。なのに私は彼の言うことの半分も分からないというのは、実にもったいないことだった。
 彼が連れていってくれたところで私が最も興味を引かれたのは、1676年に建てられた旧司教邸にあるペルナンプーコ宗教美術館だった。そこには大航海時代のさまざまなイコン(聖像、聖画像)が数多く納められていた。小さなジオラマの中にキリスト生誕や様々な聖人にまつわる物語の一場面が立体的に作られていた。
 想像するに、おそらく移民初期には、どちらかといえば貧しく学もない人々が、新天地を求めて数多く旧大陸からやって来たに違いない。そんな人々の不安を取り除き、治めていくために、旧約聖書の一場面を絵画や像にしたものは、布教する上でもなくてはならないものであったのだろう。また、先住民たちを改宗させる一翼も担った違いない。

 ルイスと一緒に歩いていると、何人もの人が彼に声をかけた。彼はこの町のちょっとした有名人なのだ。そして彼に投げかけられた微笑みは、そのまま私にも向けられた。あの喧騒のうず巻くレシーフェからたった数キロのところに、このように美しく穏やかな町があるとは本当に信じ難いことだった。
 私はルイスに、近くに良いホテルがないかと聞いてみた。彼は即座にうなずき、ついてくるようにと私を促した。丘の頂からレシーフェの町並を遥か彼方に見ながら石畳を下り、ちょうど中腹のあたりにそのホテルはあった。
 道路に面した真っ白なホテルの壁伝いに少し下るとオリーブグリーンに塗られた鉄の門がある。それを押し開けて中に入ると階段があり、上ると小さな中庭に出た。緑の美しい木々が中庭を覆いつくしていた。石が溶けかかったような不思議な形をした彫刻があり、その中庭を囲むように白亜の建物がたっていた。
 建物は一部三階建で、中庭を見下ろすようにバルコニーがあり、その手すりを支える中ほどのふくらんだ柱が、心地よいリズムを刻んでいた。バルコニーヘの階段を上ると、そこは白と黒の市松模様のタイルで敷きつめられていた。その奥がロビーだった。3メートルはある高い入り口のドアは中に向かって開け放たれていた。
 足を踏み入れるとひんやりとした心地よい空気に包まれた。濃い色と薄い色の木を交互に張り合せて、美しい縞模様を描くロビーには、白い皮のソファーと彫刻の施された木の椅子が置かれ、その脇には先住民のスタイルを真似たと思われる素朴な素焼きの壺が置かれていた。床に張られた木の香りがかすかにした。ロビーには誰もいず、静まり返っていた。こじんまりとしたなんて美しいホテルなんだろうと私は思った。

 ルイスがスイングドアの向こうに消え、しばらくして中年の男を伴って戻ってきた。彼は支配人の息子だと言った。私は二泊ほどしたいんだが部屋はあるかと聞いた。彼は、本館のほうはいっぱいだけれども中庭の下にある新館なら開いているがそれでよければ、と言った。オリンダの町を一人でもっと歩いてみたいと思った私は、それでも良いと答えた。私が日本人だと分かると、彼は、自分は電話会社に勤めているのだけれど、上司が日系人で仕事もできるしとても好い人なんだと話した。
 私はレシーフェに戻りホテルを引き払ってくることにした。名所旧跡を一通り回り、ルイスのガイドもちょうど終わりだった。いくらなんだいと言うと、彼はばか高いガイド料を請求した。三つ星のホテルに一泊できるほどの値段だった。
 高いじやないかと言うと、いやこれは決まっていることだからと譲らない。まあ、彼はとても良くしてくれたし、ホテルも紹介してくれたので快く払った。それにしても半日中オリンダの坂道を歩き回ったので、さすがの私も疲れていた。そしてそんな時に限ってトラブルは起きるのだった。

 あと少しでタクシーのたくさんいるプラサに着こうかというところで私の目の前に一台のタクシーが通りかかった。私はとっさにそのタクシーを止めてしまった。本来ならばそのようなことは決してしないはずだった。なぜなら、ブラジルに限らず、観光客のような土地に不慣れなものを乗せると、わざとと遠回りをしたりして高い金額を請求するということは、よくあることだからだ。だから、ブラジルでも私は、タクシーを拾うときにはそれ相当の注意を払ってきた。子供も大きくなったし、もうじき年金ももらえるし、わしゃ趣味で走ってるんだというような運転手のタクシーを拾うよう心がけてきた。
 しかし、朝早くから半日、急坂ばかりの町を歩き回り、くたくたに疲れていた私は、不覚にも目の前のタクシーを、運転手がどんなやつかも確かめずに止め、乗り込んでしまったのだった。
 助手席に乗りこんですぐに私はしまったと思った。いかにもボリそうな若い運転手だ。ブラジルのタクシーは2ドアのものも多く、その場合助手席に乗ることが多い。これは時にお互いにとってとても危険だ。お互いとても緊張する。私のような訳の分からない外国人を乗せるのだから当然だ。そこで私はできるだけ自分から先に運転手に話しかけるようにしていた。
 しかし、この時は疲労からそんな気も起きなかった。おまけにこのおんぼろタクシーは、ドアが閉まらないではないか。すると彼は身を乗り出してドアを二度三度とひねるようにして閉めると、にやっと笑い、バタバタと走り始めた。嫌な予感がした。おそらくガリンペイロ(金堀人)か何かをして、やっとこの中古車を手に入れたのかもしれない。あるいは、まだ借金が残っているかもしれなかった。
 それにしても車内はものの見事にぽろぼろだ。床はボコボコに波打っているし、シートのクッションなど無いも同然。その乗り心地といったら、椅子に座ったまま道路を引きずられているようだった。エンジンもまるで壊れたトラクターのような音がする。あの名車、ビートルの音じゃない。
 もちろんシートベルトなどないし、ドアがいつ落ちるかもわからない。とにかくカーブなどで振り落とされないようにと、必死でダッシュボードにしがみついていたが、オリンダを歩き回った疲れか、頭がボーッとして眠気が襲ってきた。折しも小雨が降り始め前方の視界も悪くなってきた。しかし、ワイパーなんか動きやしない。えらいタクシーに乗ってしまった。さらにまずいことに、いつしか私はうとうととし始めていた。

 ふと気がついて前を見ると、見たことのない風景の中にいる。ずいぶんと高いところを走っている。どうやら橋の上らしい。おかしいなと思い、何気なく前方の道路上の標示板を見て私はびっくりした。この先ボア・ヴィアージェン海岸と書いてあるではないか。ボア・ヴィアージェン海岸といえば、レシーフェの街を挟んでオリンダとはまったく反対側ではないか。今渡っている橋は、たしかレシーフェの街の海側をオリンダからボア・ヴィアージェンに向かって結ぶバイパスだ。やつはぐるっとボア・ビアージェンを回って距離を稼ぐつもりに違いない。横にいる運転手を見ると何食わぬ顔でハンドルを握っている。
 思わず私は切れた。いきなりフロントグラスを思いっきりバンッとたたいた。
 突然のことに、運ちゃんは飛び上がらんばかりに驚いた。私は、間を置かず日本語でどなり散らした。
「誰がボア・ヴィアージェンヘ行けって言った! テメェ、俺が何にも知らんと思って、この野郎! ふざけやがって、セントロ(中心街)へ引き返せ! 車たたっこわすぞっ!」
 彼は黒い顔が青くなり、それからしきりに弁解を始めた。
 ええい聞くものか。私はつたないポルトガル語とジェスチャーでUターンするように迫った。なおも彼は弁解を続けたが、こちらのけんまくに押され、湾の上にかかる橋の真ん中で慌ててUターンをしたのだった。
「テメェみたいなのがいるからブラジルはいつまでたっても良くならないんだ。ワールド・カップだって最近ちっとも優勝できないじやないか。返せもしないくせに世界中から借金なんかしまくって、それもこれもみんなお前みたいなやつがいるからだ」
 私は訳のわからないことをぶつぶつと言った。彼への怒りは、思わず眠りこけた自分へのものでもあった。
 運ちゃんはと見ると、クソッ、いいカモだと思ったのになあ、遠回りしてるって何で分かったかなあ、というような顔をしてなにやらブツブツつぶやいている。
 私は、しかし、このとき少し反省もしていた。こちらの言うことを聞くような男だから良かったものの、場合によっては護身用にピストルやナイフを持っていないとも限らない。軽はずみなことは避けなければいけない。それにしてもシャクなので、私はデイバッグからカメラを取り出し彼の憮然とした横顔を撮った。何のためにかは自分でもわからなかったが…。
 憮然とした二人を乗せたタクシーは、ほどなく中心街のホテルのすぐ近くに着いた。雨もあがり、暑い陽が差していた。私はいくらだと聞いた。彼はメータを見てからインフレのための換算表を取り出して値段を言った。行きに乗ったタクシーの値段より少し高い程度だったので、払うことにした。すると彼はつりがないと言う。まったくなんてこったいと思ったが、つりといってもわずかだったのと、もうこの男とはかかわりたくないと思いで、わかったわかった、あんたにやるよということになってしまった。彼はオブリガードと言うとニヤッと笑ってバタバタと黒煙を上げて走り去った。ヤレヤレ。

 レシーフェのホテルを引き払った私は、再びオリンダヘと急いだ。昼間から降り始めた雨は、一度止んだものの次第に強さを増し始めた。再び訪れたオリンダの丘は、海の底にある海草の森のようにつややかに輝き、大きな椰子の葉が緩やかに大きく揺れていた。
 森から抜きんでるように建つ教会の尖塔が、まるで海底に沈んだ中世の遺跡のように、時の流れを止めたままたたずんでいる。強さを増した雨に慌ててねぐらへと帰る鳥たちは、まるで海草の森をぬって泳ぐ魚のようだ。私は、こんな風景を以前どこかで見たような気がしていた。
 そう、しばらく前に読んだガルシア・マルケスの短編小説に、こんな海底に沈んだ町の出てくる話があった。それにしても、雨が降ろうが喧騒の絶えないあのレシーフェのにぎわいを思うと、オリンダのこの静けさと落ち着きはまるで別世界のことのようだ。
 雨は夜に入って止んだ。濡れててらてらと光る石畳の坂道を、私は目星をつけておいたバールヘと足を向けた。夕暮れになると、明かりの灯ったバールには男たちが集まり、ピンガ(ラム酒)やセルベージャ(ビール)を飲みながら、ひいきのフッチボール(サッカー)チームの話や、世間話に興じる。

 ヘミングウェイの肖像画が掛かったモルタルの壁に、ショーロの甘く切ない調べが当たっては漆黒の空に消えていく。そんなバールの仕事を、一癖も二癖もある男たちを上手にあしらいながら如才なく手伝う少女がいた。まだ胸も膨らんでいない。
 水色に塗られた壁に裸電球の灯るその小さなバールは、ラジオからブラジルのポップスが流れていたが、降り続いていた雨のせいかひと気はなかった。坂道の角にあるその店は、太い柱を除けば外と中を仕切る壁はなく、闇に沈む街から時折雨に濡れた緑の匂いのする風が通り過ぎていった。
 しばらくすると私の気配に気づいたのか、亜麻色の髪に大きな目の10歳ぐらいの女の子が奥から出てきて、年に似合わないセクシーなしなを作り、上目遣いにボアノイチ(こんばんは)と言う。ブラジルを旅してまだ日が浅いけれども、分かったことがいくつかある。そのひとつが、この国の女の子は物心つくころからすでに男を誘惑する術を身につけているということだ。う〜む。
 私はビールを注文した。彼女は奥に消えると、両手にそれぞれアンタルチカの大ビンとグラスを持って、腰を左右に振りながら現われた。
 翌日、昼間誰もいない時間に店の横を通り過ぎると、冷蔵庫の上であぐらをかいてグァラナを飲みながら、彼女が昼食をとっていた。ボア・タルジ(こんにちは)と言いながら店に入り、シャッターを切った。ちょっとビックリした後おどけて見せた。いい街だねと言うと、うれしそうにオブリガーダ(ありがとう)と言った。

 翌朝、私は朝早くからオリンダの町の散策へと出かけた。まず、坂道を一気に下り海に出た。おばあさんと彼女の孫らしい7歳ぐらいのかわいい女の子が海に浸かっていた。沖にリーフがあり、更にその内側に防波堤があるため波はほとんどなかった。
 おばあさんはワンピースのまま海に入っていた。みんなまるで温泉にでも浸かるかのように、気持ちよさそうに海に浸かっていた。彼女たちの写真を撮っていると、どこからか小さな男の子たちがわらわらと駆け寄ってきて砂浜は少しにぎやかになった。しばらくみんなを見ていた私は自分も泳ぎたくなった。
 急いでホテルに取って返し水着に着替え、Tシャツをはおるのももどかしく浜に戻ると、もう誰もいなかった。ただたくさんの小さな足跡が砂浜に置き去りにされていた。
 私はプライベートビーチとなった私だけのオリンダの海を泳いだ。しばらくして泳ぎ疲れた私は、さっき彼女たちがしていたように肩まで海に浸かりながらオリンダの街を見上げた。
 その時、誰もいないと思っていた浜に、動くものが目の端に見えた。浜辺の草地で一頭の真っ白な裸馬が草を食んでいた。馬は何にもつながれていなかった。彼は食べたいところの草を、食べたいだけ食べていた。やがて満腹になったのだろう、顔を上げると向きを変え街のほうに向かって歩き始めた。馬は石畳の坂道をひとりで上って行った。おそらくこれが毎日の彼の日課なのだろう。まるで猫か何かのように馬が放し飼いにされている街、オリンダ。何てすてきな街なんだろう。私はしばらくぽ−っとして海の中に浸かっていた。

 しばらくして、私はもうひとつのすてきな発見をした。私と正面の砂浜には道路との間に段差があって、高さ1メートルほどの石垣が積まれていたが、その石垣一面におびただしい数の小さな生物がへばりついているのを見つけたのだ。
 私は海から上がるとまっすぐに彼らのほうへと近づいて行き、彼らが良く見えるところまで来ると足を止めた。彼らは体長15センチほどのトカゲだった。互いに一定の距離を置いて日を浴びていた。
 彼らは微動だにしない。ほんの1ミリさえも動かない。まるで時間のない世界に住むもののように固まっている。けれども、彼らからは、身を固くしてじっと息をひそめている人のような緊張した気配はみじんも感じられなかった。かといって眠っているわけではない。彼らの体内時計のリズムが人間のそれとはまったく違うのだろう。冷血動物である彼らは、生きるための最小限のエネルギーしか使わない極めて合理的な生物であるという文章をどこかで読んだことを私は思いだした。
 暑い太陽が私の頭と背中を激しく焼いた。私にとっては長い時間が過ぎたように思えた。私は、思わず一歩前に歩み出た。自分自身で作り出している静寂と緊張を破るために。
 その瞬間だった、そのおびただしい数のトカゲたちが一瞬のうちに同時に消えた。しかも、音ひとつ立てずに、まるで空間に気化するかのように消えた。私は歩み出した足を思わず引っ込めそこに立ちつくしたまま、今はもう何もいない陽があたるだけの石垣を呆然と見つめていた。さっき見ていたあの光景がまるで幻のように思えた。
 私はその場に腰を下ろした。砂浜は焼けつくように熱くなっていた。私の前に底なしの穴が開いたような漆黒の影があった。時は流れていった。

 どれくらいそうしていただろう。自分が、さっきまで石垣にへばりついていたトカゲのようになったころ、一匹のトカゲが石垣のわずかな隙間から姿を現すのが見えた。すると石垣のありとあらゆる隙間から、トカゲたちがわらわらと這い出てきた。自分の位置に着くと、彼らはさっきと同じように微塵も動かなくなった。まるで、何事もなかったかのように。
 彼らが、どんな信号に基づいてそれほど見事な行動をほとんど同時にとれるのかは知らないが、驚嘆に値するほどの合理的な動きだった。それにしても、冷血動物の彼らが持つ体内時計のリズムに、定温動物の私がつき合うのは大変なことだと感じた。リズムの緩急の差があまりにも激しすぎるのだ。定温動物の動きはあまりに無駄が多い。しかし、だからこそ自由なのだともいえる。人間はホイジンガーのいうように、ホモ・ルーデンス、遊ぶからこそ人なのだ。
 私は彼らの日光浴をじやましないように静かに退き、ゆっくりと立ち上がると再び海に向かって歩き、泳ぎ始めた。このままアフリカの象牙海岸までだって泳げそうな気がしたくらいだ。私はとても満たされた気持ちだった。それは、放浪の旅の本当の良さが、またひとつ分かったからだった。
 確かに、レシーフェでそうしたように、街に出て多くの人に会い、話し、写真を撮り、食べて飲む。それはそれで楽しい。毎日新しい出会いや発見がある。けれども、こんなふうにトカゲを見るだけの一日があってもいい。こんな旅でもなければ、私はきっとトカゲをじっと観察することなどなかったに違いない。そしてなによりトカゲは、私に、今の私が自由であることを教えてくれた。気負うことはなかった。好きなように好きなところへ旅をすれば良いのだった。

 浜からホテルに戻ると、私は着替えてホテルの支配人の息子に教わった近くのレストランヘと向かった。ホテルを出て左手へ坂を上り、つき当たりを左に曲がってしばらく歩くと、右側に目指す店があった。
 店の表側は土産物屋になっていて、皮や木でできた工芸品や、陶芸品、安物の宝石類が売られていた。この町には多くの工芸家や画家、彫刻家も住んでいるらしく、それと思わせる作品も数多く並んでいた。店には60歳前後の気さくそうなおばさんと、子犬のようにかわいい目をした栗毛の小さな女の子がいた。
 すみません、ヘストランチはどこですかと訪ねると、おばさんはにこっとほほえみ、こっちよと言って私を店の奥へと導いた。店のすぐ奥が厨房になっていて、いい匂いのする廊下を更に行くと、二人の男がホテルのロビーにもあった木のベンチの飾りの部分の彫刻をしていた。なおも奥へ行くと急に景色が開けた。
 そこはテラスで、オリンダの街に飛び出すように坂の上にあり、遠くにはレシーフェの街並が望めた。
 テラスには、ブラジルのサッカーのナショナルチームのユニフォームと同じ色をした、黄色いクロスのかかったテーブルが並んでいる。私は一番見晴らしの良い外側の席に座った。
 突然、おばさんがケケケーッと言う。べつに、このおばさんの気がふれたわけじやない。「なんにしますか」というのをポルトガル語でざっくばらんに言うと、そう聞こえるのだ。カルダピオ(メニュー)はと聞くと、そんなものはないよと言う。
 じやあ何があるのと聞くと、彼女はベラベラと本日のおすすめ料理の名前をいくつもあげた。わからない。それはどんな料理と聞くと、またていねいに説明をしてくれた。聞くだけ無駄であった。
 私はデイバッグの中からスケッチブックとサインペンをとりだした。彼女は少しためらった後、意を決したようになにやら絵を描きだした。彼女は不思議な動物の絵を二つ描いた。その絵をきちんと解読するのが私の務めだった。こんなに一生懸命描いてくれた彼女に恥をかかすわけにはいかなかった。私はじっとその絵を見た。
 絶滅したドウドウ鳥のようなものは、きっとにわとりだ。ガリーニャでしょと聞くと、彼女はにっこりして首をたてに振った。第一関門突破だ。さて、問題はその隣にあるイボイノシシみたいなものだ。見ようによっては豚にも見えるが、豚には角がない。ブラジルの豚には角がある、などという話も聞いたことがない。これは牛だね。当たった。全問正解だ。だからどうしたというのだ。これでは料理の名前が分からないではないか。

 仕方がない、私はドウドウ鳥を一羽頼むことにした。ついでにビールも頼んだ。料理がくるまでビールを飲みながら美しい景色を眺めた。時折さわやかな風がほほをなでて行った。何か動物の鳴き声がしたのでテラスの下をのぞくと、山羊が一頭いて草を食んでいた。やがて、おばさんがいい匂いのする料理を、笑顔と、ちょろちょろと動き回る小さな女の子つきで運んできた。
 ドウドウ鳥、いや、にわとりは、スパイシーなローストチキンとなって現れた。小鉢が三つ。ひとつはフェジョン(豆)を塩味で煮込んだもの。ふたつめはトマト、玉ねぎ、コリアンダーの葉(香菜)、博多ねぎのようなものを、それぞれみじん切りにしてドレッシングであえたサラダ。 そして最後の小鉢には塩を入れて炊いたバサバサのアホーイス(ライス)。
 別のコップにはファリーニャ・デ・マンジョーカ。一般約にはファリーニャで通じるが、ファリーニャというのは粉という意味だから状況に応じては正確に言わなければ、何の粉だかわからないこともありうる。一見すると鳥のえさか何かのように見えるファリーニャだが、もとは先住民のインディオの食べ物で、マンジョーカという木の塊根だ。無味無臭で砂利か砂を食べているようだなどと言う人もいるが、私はその香ばしい味が大好きである。早くアマゾンヘ行って本場のファリーニャを思いっきり食べたいものだ。
 これらの料理には、もうひとつ空の大皿がついてくる。その皿にそれぞれの料理を取り、一緒に食べるのがブラジルの食事のしかただ。しかし、このとき私は、まだ本当に正しいブラジル流の食事法を知らずにいたのだった。
 素朴な家庭科理ではあるけれど味はなかなか良かった。何より、この上なく美しい景色とそよ風が、私をリラックスさせ心地よい気分にしてくれた。

 食後、私は再び街に出た。ひと気のない通りで栗毛の裸馬とすれ違った。彼は私に一瞥をくれるでもなく、美しく伸びた栗色の尻尾を振りながら悠然と坂道を上って行った。私は気ままにオリンダの街を歩いた。真っ赤なハイビスカスや名も知らぬ美しい南国の花が、甘い香りで私を誘惑した。
 坂道の長い壁一面に、オリンダに住むアーチストが描いたと思われるたくさんの絵を見つけたときは、うれしくなってしまい、いくつもシャッターを押した。ファインダーの中を、恋人をうしろに乗せた男がバイクでかけぬけて行く。オーラーッという女の子のはずんだ声ととびきりの笑顔がフィルムに焼きついた。
 海岸べりに下りてレシーフェのほうへ少し戻ってみた。レシーフェの街に向かって長い砂浜が弧を描いていた。その砂浜に沿って階段状になったコンクリートの防波堤がずっと続いている。私はその上を歩いた。防波堤の内側はファベーラ(貧民街)だった。気を緩めてはいけないが、ファベーラだからといって悪人ばかりが住んでいるわけではない。ほとんどは貧しくても気のいい人たちばかりだ。

 裸足の少年が二人、破れた砂だらけのパンツひとつでサッカーをやっていた。あのリバウドもレシーフェのそんな少年の一人だったのだ。
 のどが渇いたのでファベーラのペンキのはげた小さなバールに立ち寄った。ひとりの老人が私を呼び止め話しかけてきた。日本から来たと私が言うと、彼は、日本人は良いやつぱかりだと言った。私はありがとうとこたえた。日系移民の人たちが築いた厚い信用を、私は感じた。
 風が強くなってきたので戻ることにした。ファベーラの悪がきが私を見つけ歓声をあげながら石を投げてきた。私は防波堤の陰に隠れ、バッカヤローとどなった。どこの国でも退屈で死にそうになっている子供には気をつけなければいけない。

 夜、私はオリンダの丘の一番高いところに上った。遠くレシーフェの街の灯りが、漆黒の大西洋の上で揺れていた。眼下に影絵のようにたたずむ木々の葉の間からは、オリンダの家々の灯りがこぽれていた。しばらくの間、私はそこに一人で立ち木のようになってたたずんでいた。
 他に人影はなかった。いったいどれほどの人間がこの丘の上からアフリカやヨーロッパの夢を見たことだろう。私は遠く大航海時代に思いをはせた。どれほどの野望と夢が、この浜に上陸したのだろう。どれほどの絶望と苦渋がこの丘を覆ったことだろう。けれども、今このオリンダの丘は、そんな激しい歴史のあったことを想像だにさせぬ深い静寂に包まれている。確かに、時は流れたのだ。
 充分に一人を楽しんでから、私は早熟で生意気な小娘のいるバールヘと足を向けた。

 翌日の午前中は新しい小道を求めてふたたび街を歩いた。オリンダという街は歩き飽きない街だった。丘の上にある露店の土産物屋で、椰子の繊維を一部に織り込んだレースのテーブルクロスを三枚ほど買った。昼になってホテルをチェックアウトすると、昨日のレストランヘと向かった。私はまだあのレストランのイボイノシシを食べていなかった。
 それは牛の骨付きのすね肉を、コトコトと良く煮込んだ料理だった。そのためフォークで触れるだけで肉は骨からするりと離れた。スープはもちろんのこと、骨の中にあるゼラチン質の髄が、これまた絶妙な味がしたものだ。この料理にはファリーニャのドロッとしたお粥がついてきた。
 トロトロに煮えた肉を細かく切り、ごはんとフェジョンをまぜ、ファリーニャをたっぶりまぶしてフォークで次から次へと口にはこぶ。体がほてる。一息入れて冷たいビールを流し込む。
 ひとつの皿に料理を取り、ごちゃごちゃ混ぜて食べるブラジル流のマナーにもずいぶん慣れてきた、と私はこのとき思っていた。それはレシーフェに戻りメルカードの地元の人しか行かない小さなカウンターだけのレストランで、隣りに座った17歳位の娘の食事法を見て覆されることになる。
 食事の途中、ガイドのルイスが友達をひとり連れてやってきた。食事は済んだというのでコーラをおごってやった。セニョールは空手ができるかいと二人が聞く。私はそれには答えず、逆に君たちはカポエイラができるかいと訪ね返す。二人はにっこりうなずくとカポエイラのまねを始めた。う〜む、これはいい。これからはこの手でいこう。実際、空手空手とどこでも言われてヘキヘキしていたところだった。俺はブルース・リーじゃない。
 楽しくにぎやかな食事が終わると、私は二人に別れを告げバックパックを背負い、ひとり歩き慣れた石畳の坂道を下って行った。オリンダの街は来たときと同じように静かで美しかった。


本当にいいホテルだった。

人なつこく親切なオリンダの人たち。

花の咲く坂道。

ウォールペインティングがあちこちに。

海辺と高台には、いいレストランがある。

オリンダは、アーティストの街。

相当派手なんだけれど街に馴染んでいる。

馬がよく働く街だ。

●CONTENTS
はじめに、そして最後に 息子達へ、ブラジルの友へ
サンパウロからレシーフェ
ブラジル・レシーフェ
オリンダ
レシーフェからベレンへ
アマゾン・ベレン
アマゾン・マナウス
アマゾン・サンタレン
ブラジル・リオデジャネイロ
ブラジル・サルバドール
ボリビア
ノルウェー

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文・写真:HAYASHI Moriyuki


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