大河アマゾン・魔都と呼ばれたマナウス<Manaus>
 マナウスは、アマゾン河河口より1500キロ上流にあるアマゾナス州の州都である。1900年前後をピークとする未曾有の生ゴム景気の時代、一攫千金をねらう人々の欲望が渦巻くマナウスは、魔都と呼ばれた。南米で最初に市内電車が走り、わざわざイタリアから輸入した大理石で、パリ・オペラ座のレプリカ、テアトロ・アマゾナス(アマゾナス劇場)が造られ、アマゾンの奥地に黄金帝国が築かれた。ゴム成金たちは、ジャングルの中にヨーロッパの快楽を求めた。その象徴がアマゾナス劇場だ。ドームの天井には、パリのエッフェル塔を下から見上げた絵が描かれている。
 劇場は、数年に一回塗り替えられるが、その度にローズグレーとパステルブルーに交互に色が変わる。ガイドブックによって劇場の色が違うのはそのためだ。
 マナウスは現在、自由貿易都市として、アマゾン観光の拠点として栄えている。日系企業も進出していて、日本食を出す店もいくつかある。マナウスのはずれ、工業団地との間に湿地帯があり、そこに高床式の木造の家が並んでいて、家と家は木造の橋で繋がれている。貧民街である。そこのとある女ばかり三人暮らしの家に居候していたことがある。
 アマゾンは暑い。大きなザックを背負って、汗だくになって歩くのはかなわないと、私はベレンの日系人がやっているペンションに荷物を預け、デイパックひとつで旅をしていた。下着が二組とカメラにフィルム、タオルと石鹸にトラベラーズチェックと当座必要な現金、ブラジルで買ったガイドブックのアマゾンの部分だけひっぺがしたもの、歯ブラシ、アーミーナイフ、それだけだった。それだけで足りた。その荷物を見て居候先の女性は、こいつは頭がおかしくないかという目で私を見た。彼女の友達は腹を抱えて笑い転げた。

 早朝、というよりはまだ深夜、一番鶏が鳴く前に市場はもう開いている。アマゾンでは買い物は男たちの仕事だ。闇の中、裸電球に照らされて、肉のかたまりや大きなナマズを担いだ褐色の男たちがうごめく。
 朝になると、バサバサのパンを砂糖たっぷりのカフェズィーニョで流し込んで、人々は仕事に学校にと出かけていく。日が昇ると赤道直下の太陽が街を焼く。学校の授業は半日なので、お昼は家で食べる。午前と午後のクラスがあるが、昼間働いていて学校に行けない子供のために夜の部もあると聞いた。向かいのおばさんが、夕方になると紺のミニスカートに白いTシャツで本を抱えて出かけていくのを不思議に思っていたら、小さいときに貧しくて学校に行けなかったので、今になって通っているのだそうだ。ちゃんと向学心を持っているのは偉いなと思ったが、叔父に言わせると、クラスの中に年齢差があると子供に余計なことを教えたりしていいことばかりではないのだそうだ。そうかもしれないが、文盲率などという言葉が死語になったのは、日本だってそう昔の事ではない。世界には行きたくても学校に行けない子供たちがたくさんいる。

 貧民街の人たちは、みんな気さくだ。女たちは、大人も子供も出会うと極上の微笑みを投げかけてくれる。みんな自分に気があるのかと勘違いしてしまいそうなほどだ。
 そしてアマゾンの女たちは、本当によく水浴びをする。朝一番、午後の昼寝の前か後、夕方か夜、眠る前。一日3〜4回は浴びる。清潔好きなのだ。女たちはバスタオル1つを巻いて中庭にある共同のシャワールームに入っていく。
 隣の奥さんや娘さんたちが、バスタオル一枚で出てくる様は、見慣れるまでは毎回どきどきしてしまう私であった。しかも、彼女たちは目が合うと、本当にとびきりの微笑みをくれる。本当にみんな自分に気があるのかと勘違いしてしまいそうだ。
 しかし、シャワールームといっても、板で囲った電話ボックスほどの床にコンクリートの四角い穴があいていて、そこに浸みだしてくる水を被るだけのもの。天井さえもない。水は透明だけれどきれいとはいえないかもしれない。その横には共同の洗濯場があって女性たちの井戸端会議の場になっている。アマゾンでは洗濯は女性の仕事だ。私が自分のジーンズをそこで洗っていると、近所の主婦や娘たちによくからかわれた。
 でも、まず子供と女性に取り入るのが、新しい共同体に入っていくときの常套手段だと聞かされていた私は、そのとおりにしていた。アマゾンの女性たちは、リオの女性たちとは違い恥ずかしがりやだ。モンゴロイドを祖先に持つ先住民の血のせいだろうか。

 トイレは、その中庭の隅にひとつだけある。一応洋式だが、ブラジルでよくそうであるように、なぜか便座がない。近所に、みんなの話しでは90歳は過ぎているという舌が苺のように赤い魔法使いのようなおばあさんがいて、彼女が毎朝決まって8時にトイレに入り、入ったが最後午前中はそこから出てこないのだ。だから朝はみんなその前に入ろうと混雑する。水はバケツに汲んでそれで流す。
 床下を鶏が走り回る。つんざくような悲鳴がしたかと思うと、大きな豚が向こうから突進してくる。危ない!と小さな子を抱えて上に逃げる。悪童どもが棒を持って追い回す。豚は貧民街を散々追い回されたあげく、街の中を流れる小川の急流に転落し流されていった。悪童たちは歓声を上げた。哀れな豚がやっとの思いで這い上がったところは残飯の捨て場だった。彼にとっては地獄の後に天国が待っていたような一日だったに違いない。
 マナウスは暑い。私はハンモックに揺られながらビールを飲んでは、一日中ぐだぐだしていた。そんなある日、隣に住む17歳の娘が遊びに来て言った。あなたは何人なの?と。ジャポネースだと応えると、嘘だという。私の知ってる日本人は、働いてばかりいて、お金の話しと女の話しかしないといった。この辺の男は怠け者が多いけど、あんたは彼らより怠け者でなんにもしない。そんな日本人はいない、と言われてしまった。
 スコールが来ると、辺り一面水浸しになり、貧民街は水上家屋になってしまう。アマゾンのスコールは、日本の夕立とは比べものにならないほど激しい。波形のトタン屋根にたたきつける音は、小石が降ってきたようだ。
 雨漏りがひどいので、家の中で傘をさしていたこともある。目の前の電柱に雷が落ちて命拾いをしたこともある。アマゾンの人は普通傘をささない。役に立たないのだ。OLも女子学生もびしょぬれになって歩いている。ブラウスやワンピースが体にぴったりと張り付いてなかなかセクシーだ。スコールも悪くない。

 本来先住民の食べ物であったものだが、アマゾンでは、どこの家でもテーブルの上に有毒マンジョーカの芋から作ったファリーニャが置いてあり、これを何にでもかけて食べる。見た目は鳥の餌だ。マナウスのファリーニャが一番粒が大きい。口に含むと、まるで砂利のようだ。開高健は、『オーパ!』で「味もなければ、香りもない」と書いているが、私はその香ばしい香りが好きだ。脂っこい料理にかけて食べると、油を吸ってくれて食べやすくなる。魚介類を煮込んだスープに入れて食べると最高だ。
 アマゾンの人間にファリーニャを語らせると、俺はベレンのが好きだとか、いやマナウスのあそこのものでなければいけないとか、いや俺の家で作ったものが一番美味いとか、うるさいうるさい。それほど大事な食べ物でもあるということだ。
 その有毒マンジョーカの汁にピメンタ(生胡椒の実)を入れて、魚肉、アリを入れて煮詰めたものが、アマゾン先住民の調味料であるトゥクピで、色々な煮込み料理のベースに使われる。瓶詰めで売られているときは、上に黄色や赤のピメンタが浮かんだオレンジミルクのようなきれいな液体だが、かき混ぜると、なんとも食欲のわかない灰褐色の液体になる。だがとっても良い香りがする。現在売られている物は、先住民のそれとは製造法や内容物が少し違うようだが、アマゾン料理の主な調味料であることは変わらない。
 中でもパット・ノ・トゥクピ(鴨のトゥクピ煮)はアマゾンの名物料理だ。本来は野生の鴨を使うのだろうが、現在はアヒル(家鴨)や鶏肉を使うようだ。鴨のぶつ切りをトゥクピの汁に入れ、玉ネギ、ニンニク、塩、コショウを入れて煮込み、最後にジャンブーという野菜を入れて仕上げる。食べるときはファリーニャ・デ・マンジョーカをかけ、モーリョ・デ・ピメンタをかけて食べる。さらに塩と油を入れて炊いたご飯をぐちゃぐちゃに混ぜて食べるのが、アマゾン流の正しい食べ方である。美味い。

 それから、インディオが顔や体に塗ったりもする赤い木の実、ウルクンを原料にしたコロラウという赤い調味料をよく使う(製品化されているものはパプリカが主原料)。これを入れた具だくさんのソッパ(スープ)もアマゾンの隠れた名物だ。牛肉やセロリ、ピーマンにタマネギ、マカロニ。入れるものや味は、家庭や店によって違う。日本のお袋の味、みそ汁といったところだ。元はポルトガル料理だろうと思われる。牛肉を焼くときもこれをまぶす。小さく切った牛肉を串に刺して焼く屋台はよく見られる。ピンガをあおりながら焼き肉を食べるのはたまらない。
 そしてもう一つ欠かせないのが、唐辛子。アンデス原産の小さな唐辛子は、世界一辛いので有名。黄色く丸いものや、緑のシシトウを小さくしたようなタイプとある。これを塩と油を入れて炊いたご飯にバラバラかけて食べる。調子に乗って食べると、翌朝トイレでお尻にカミソリを差し込まれてかき回されたような激痛にのたうち回ることになる。それはそれは辛いものだ。
 普通は、モーリョ・デ・ピメンタといってビネガーに唐辛子の生の実を漬け込んだものが市販されていて、ブラジルの家庭では使っている。モーリョ・デ・ピメンタは辛いだけでなく、とっても香りが豊かで、なんにでもかけたくなる。ちょっと沖縄のコーレーグースに似ている。
 そしてアマゾンといえば、やはり豊富な魚だ。ピラーニャ、ジャラキ、タンバッキ、パクー、ピンタードときりがない。特にナマズのブリブリとした上品な白身の美味さは、塩焼きにしてよし、ココナッツミルクで煮てよし。そして極め付きはピラルクだろう。その肉は、巨大な平目の縁側という感じで、一度食べたら忘れられない深い味わいだ。現在は減少傾向にあり、養殖も研究されているようだ。 
 アマゾンの人たちは当然、魚をよく食べる。どう猛なピラーニャのスープ。巨大ナマズの塩焼き。もちろん牛肉も大好きで、よく食卓に上る。川沿いの家では、主婦や子供たちが晩ご飯のおかずを釣っている姿をよく見かける。

「モーリ大変!」ある日居候していた家で15歳になるアナが駆け込んできた。隣の娘が病院にかつぎ込まれたという。彼女がつきあっていた男はマナウスの街でタクシーの運転手をしていた。気のよさそうな男だった。二人は結婚を考えていたが、彼の父と兄がそれを許さなかった。彼女との争いは絶えず、薄い板壁を透して諍いの声が聞こえた。なぜ彼女の父と兄が反対しているのかは、アナに何度聞いてもよく分からなかった。
 その日彼が訪れて兄ともみ合いがあった。彼が帰った後、彼女と兄の間で諍いがあって、あげくに兄が彼女の腹を蹴った。彼女のおなかには彼の子がいた。流産した。
 数日後、彼女を病院に見舞った。細長いガラス窓の向こうに、新生児室があった。モルタルの倉庫のような大きな部屋にベビーベッドがぎっしりと並び、生まれたばかりの赤ん坊が数え切れないほどいた。彼女は殺風景な大部屋にいた。そこは日本人の感覚で言えば病室と呼べるような所ではなかった。彼女は青白い顔で自らに降りかかった過酷な運命にじっと耐えていた。私たちは彼女にかける言葉を失っていた。
 彼女の退院後、もめ事はさらに続き、運転手が彼女の兄をナイフで刺すという事件にまで発展した。

 私が居候していた家には、父親が日本人の女の子がいた。そればかりではない。近所には、この子の父親も日本人、この子の父親はアメリカ人、ドイツ人と出てくる出てくる。マナウスには工業団地があり、先進国の企業がたくさん進出している。その落とし子たちだ。
 貧民街の若い女たちの中には、そんな駐在の外国人と結婚したいと願うものも少なくない。それが貧困から脱出する数少ない手段のひとつなのだ。居候した家の女性は、その後ノルウェー人と結婚して北極圏の小さな町に嫁いだ。彼女はノルウェーで三回結婚し、三回離婚した。
 それでもマナウスの貧民街にいるよりは良い選択だったのだろうと思う。娘は高校を卒業し、在学中にアメリカに留学もした。貧民街にいたら、おそらく満足な教育も受けられなかったに違いない。
 居候していた家の親戚で、プロテスタントの宣教師だという男と知り合いになった。イランに出稼ぎをしていたらしい。奥さんが、向こうにも奥さんと子供がいると苦々しげに話してくれた。とんでもない宣教師だ。彼と色々話しているうちに、最近初めて接触に成功したインディオ(先住民)からもらったものをあげると言われた。紐で編んだポシェットのようなものと貝殻が埋め込まれた腕輪だった。私の宝物になった。
 貧民街での気の置けない人たちとの日々は、本当に楽しいものだった。忘れていたものを思い出させてくれた。貧しいが故の悲劇もあちこちにあるのだけれど、彼らは明るく逞しかった。そしてなによりやさしかった。居候先の2歳になる女の子を抱っこして街を歩くと、あちこちから声がかかった。好奇心旺盛な子供達は、ありとあらゆる質問を私に浴びせた。私は、つたないポルトガル語でできるだけその質問に答えた。今でも時々、あの子達はどうしているだろうと考えることがある。


雨が降ると水浸しになるから木の橋が巡らされている。

夕食までの間、みな夕涼みに出てくる。

夕暮れになるとホマンチカ(ラブソング)が流れる。

このデイバッグひとつで旅をしていた。

市場は活気がある。ピラニア、ナマズ、ピラルク、ワニ、媚薬まで。早朝の買い物は、男の仕事だ。

雨期になると河の水位が10mも上がる。河原の市場は毎年水没する。

お洒落なパン屋でしょ。

アマゾンのブルース・リーって呼んでくれい!ってか。

朝の仕事が終わったら、日がな一日酒とビリヤードさ。

アマゾン劇場が見える安ホテル。取り壊すので最後の客になった。

悠々と家に帰る。

水が引けばここも牧場になる。

 コカコーラの空き瓶を山奥の店に売りに行くんだけど、一緒に行かないか。ある日系人にそう言われてついていくことにした。トヨタのジープタイプのトラックに三人が乗った。フェリーでネグロ河を渡り、ジャングルの赤土の道を時速100キロ近くでとばす。ジャングルを山奥というのには訳がある。アマゾンのジャングルは必ずしも平らではなく、大きな褶曲をなしている。よって赤土の道はジェットコースターの線路のようにアップダウンの繰り返しになる。
 ドアを手で押さえていてと言われる。そうしないとドアが落ちてしまうらしい。なんてこった。向こうの山の上に対向車が見える。後に真っ赤な土煙を引き連れている。当然こちらの車も同じだ。谷底で猛スピードですれ違う。瞬間、視界が全くなくなる。360度真っ赤だ。時速は100キロ。それこそ数秒が何分にも感じられる恐怖の時間だ。

 ドアを押さえる手がしびれきった頃着いたところは、ジャングルの中の川に浮かんだいかだの上の店。デポジット制なので空き瓶が足りなくなるらしい。空き瓶をおろした後いかだの上でビールを飲む。濁った水の中を体が透明な魚が泳いでいく。思わず手を伸ばしてすくおうとすると、やめた方がいいよと言われる。この間このいかだの下にでっかいワニがいたんだ。まだいるかもしれないしね。手が無くなるよ。
 帰りにジャングルの草庵に一人で住む日系人の男の家でガラナ入りのピンガを飲む。ほとんどグアムにいた横井さんの様な生活だ。いい気持ちになって車に戻ろうと外に出ると、そこは今まで体験したことのない漆黒の闇だった。厚い雲が覆っているのだろう、月明かりも1点の星明かりさえ無い。空もジャングルも、なんと自分の手足さえ見えない。前を歩く人の白いTシャツが薄ぼんやりと見えるのを頼りにジャングルの中の道を車までの数百メートル歩いた。
 それは恐怖だったが、強烈な記憶となって残った。港へ向かう漆黒の道で、ヘッドライトに一人の男が一瞬浮かび上がって消えた。この闇に包まれたジャングルの道を彼は何キロ、あるいは十数キロも歩いて家に帰るのだ。このあたりじゃ普通のことだよ、と言われた。世界にはこんなすごい闇がある。ランドサットから見た地球の夜景を撮った写真では、日本列島は光の固まりに見える。夜の明るさの代わりに我々が失ったものは何だろう。

 マナウスを訪れたものが例外なく訪れるだろう場所がある。1880年から1912年の空前のゴム景気の象徴、アマゾナス劇場だ。パリのオペラ座を模したその絢爛豪華さは、一瞬この街がアマゾンのジャングルの真ん中にあることを忘れさせる。
 ある日、劇場の見学を終えてゆるやかな坂道を下っていくと、小さな映画館の前を通りかかった。なんとアマゾンを舞台にした「フィツカラルド」を上映中だった。既に日本で観たことのある映画だったが、舞台がアマゾンで、監督が私の好きな鬼才ヴェルナー・ヘルツォーク監督だったので観ることにした。
 なにより映画の舞台となったこの地で、しかもたった今アマゾナス劇場を見学してきたばかりである。この映画を観る上で、これ以上のシチュエーションは無いだろうと思われた。
 幸いなことに、まもなく上映の始まる時間だった。私は何か縁のようなものを感じながら、その小さな映画館に入った。「フィツカラルド」は、カンヌ映画祭監督賞受賞作で、フィツカラルドという、アマゾンの奥地にオペラハウスの建設を夢みた男の奇想天外な行動を描いた壮大な物語だ。ぶっつけ本番で撮影した、巨大な船が山を越えるシーンと激流を流れ下るシーンは圧巻である。

 見終わって、感慨というよりは脱力感に近いものを感じながら、安宿に帰る道すがらアマゾナス劇場の横を通る。静まりかえった劇場の影に、カルーソーやサラ・ベルナールの歌声と、観客の歓声が聞こえた気がした。宿に帰り高い窓を開けると、目の前に劇場のドームが見えた。終幕の船上でのオペラはベルリーニの「ピューリタン」だった。確かにアマゾンのジャングルにオペラは妙に合う。しかし、この劇場の壮大さと豪華さを目の当たりにすると、ゴム景気にわき、魔都と呼ばれた当時のマナウスの繁栄と人々の欲望と狂気、誇大妄想が成し遂げたとしか思えない偉業に言葉を無くすばかりだ。
 私が泊まっていた港近くの安ホテルも、当時の面影を残す古い建物だった。青い建物の外観には、安ホテルには似つかわしくない凝った装飾があった。1階はハンモックの商店やお香を売る小さな店が並び、2階がホテルになっていた。ホテルの名前は「HOTEL SAYONARA」。日系人の経営ではなかった。さよならという言葉の響きは、ブラジル人にはとても美しく聞こえるのだそうだ。そういえば、サンタレンにも「SAYONARA」という名前の商店があった。
 そのホテル、昔はゴム取引の会社かなにかだったのだろうか。天井が異常に高く、部屋の長い一辺よりも天井までの高さの方が長いおかしな部屋だった。縦長の窓を開けると、下のお香屋が一日中流している呪文のような、お経のようなアマゾン独特の音楽が聞こえた。
 宿泊者は、港の近くということもあってか、遠くから仕事で来た行商人がほとんどで、バックパッカーは、私だけだった。安宿だが、娼婦が出入りするような宿ではなかった。ロンドニアから来たという、背筋の真っ直ぐ伸びた、70過ぎの侍のような日系の老人もいた。
 実はもう少し街の中心に入れば、バックパッカーがたくさんいる安宿街があり、何軒か回ったが、気に入ったところが見つからなかった。ドルミトリーが多かったし、中には窓がひとつもない監獄のような部屋まであった。
 アメリカの有名なバックパッカーの案内に、フレンドリーなオーナーなどと書いてあったので行ってみると、中国人と間違われ追い出された。とんでもない人種差別主義者の馬鹿親爺だった。そんなときに偶然見つけたのが、この港近くの「ホテルサヨナラ」だった。

 三度目のマナウスは、元妻と行った。奮発して小舟をチャーターし、ジャングルクルーズに出かけた。ピラニア釣りやジャングルの細い水路巡りをした。ホテイアオイを乗り越え森の中の水路を進み、オオオニハスの群生地やアプイゼーロと呼ばれるたくさんの気根が水面から立ち上がる大樹を見る。
 とあるジャングルに囲まれた池でエンジンを止める。虫の声、鳥の声が静けさの中に響く。あーずーっとこのままこうしてここに居られたらなあと思った。
 ピラニア釣りの場所に行くと樹上から大きなイグアナがどっかんどっかんと落ちてきた。餌に牛筋を使い、竹の竿でバシャバシャと音を立てて水面をたたくと、ピラニアがおもしろいように釣れる。 細い水路で目の前の大木に、何百匹という毛虫がびっしりと固まってついているのを見たときは、泡を吹いてひっくり返りそうだった元妻も、この釣りにはすっかりはまってしまった。面白いように赤いピラニアが釣れる。釣り竿で水面をたたく、クイクイッとしゃくって誘う。ガンッと当たりがくる。危ないので針は船頭にはずしてもらう。船底で釣られたピラニアが悔し紛れに歯をガチガチいわせている。楽しい。
 しかし、急に便意をもよおし、急遽釣りは中止…。全速力で船頭の家に引き返すこととなった。トイレは高床式で穴から水面が見え、下では魚が今か今かとうんこを待っている。ふんばるとトイレごと左右前後にゆらゆらと揺れる。うんこをしながら船酔い状態になる。うんこは魚の餌になる。魚は人間の餌になる。人間は微生物の餌になる。

  昼食は船頭の家でピラニアの刺身や、ピラニアの煮物、あの世界最大の鱗のある淡水魚、ピラルクーのフライをたらふく食べた。濃厚で深みのある味は一度食べたら忘れられない。日本人ということで、ピラニアの刺身も出た。刺身はあまり薦めない。アマゾンの魚には、ほぼ100パーセント寄生虫がいるからだ…。さらには、ピラフ、パスタ、サラダと、どれも美味しかったが二人ではとても食べきれない量だった。
 水上家屋の窓には窓ガラスが無い。夜は鎧戸を閉めるが、昼間は開け放してあり、時折いい風が吹き抜けていく。窓からは浮島や中州のジャングルが見えた。静かで動いている物がなにもない。静止画のようだ。すばらしいランチタイムだった。
 帰りは、カフェオレ色のソリモエス河とコカコーラ色のネグロ河が、延々と交わらずに流れる合流点を通る。ただっぴろい河の真ん中に舟を止め、船頭の兄ちゃんと私は河に飛び込んで泳いだ。水は焦げ茶色なので、2mももぐると何も見えなくなる。水深は60メートルはあるという。アマゾン河の真ん中で浮かんで真っ青な空を見上げると、アマゾネスに抱かれているような幸せな気分になった。街にいると誰かに襲われやしないかとピリピリと緊張していたかみさんも、心からリラックスしていた。しばらく泳ぎ、港に向かって走り出すと、ピンクイルカが舟と併走する。やがて、遙か遠くにマナウスの街のシルエットが見えた。
 外のレストランで食事をとり、ホテルに帰ったのはもう8時過ぎだった。舟に乗って一日中風に吹かれているというのは、思った以上に疲れるものだ。私たちはベッドに倒れ込み、そのまま眠ってしまった。

 ある日の夕方、ホテルの窓から下にある公園を眺めていると、なにやら地元の人がたくさん集まっている一画がある。野天のレストランらしい。地元の人があれだけいるのだから、きっと美味いに違いないと早速出かけることにした。それは公園の片隅に、イスとテーブルと調理台があるだけのシンプルなレストランだった。けれども辺りには、炭火で肉や魚が焼ける、なんともいい香りが漂っていた。楽しげに食事をする客の顔も期待を膨らませる。
 母親の手伝いをしながら、小学生の少年が、かいがいしく働いていた。私たちは、アヴィ・ノ・トゥクピ、ピラルクのリゾット、牛ヒレ肉の串焼きを頼んだ。四ツ星ホテルのレストランより美味かった。
 アマゾンの牛は、インドなどにもいる色の白いこぶ牛である。歯が無くても食えるような柔な霜降りではないが、その赤身肉は肉本来の滋味に溢れている。噛めば噛むほど旨味が出てくる。私たちはその青空レストランが気に入り何度も通った。
 アマゾンはグルメの隠れたメッカだと思う。



アマゾンのセニョリータ。

アマゾナス劇場の大ホール。夜な夜な舞踏会が開かれたという。

鎧ナマズを調理している。焼いても煮ても美味い。

アマゾンの子供たちは半魚人のようだ。

ジャングルの中で出会った家族。

こんな船をチャーターしてクルーズしたら気持ちいいだろうね。

海水浴場じゃなく河水浴場。向こうに見えるのは対岸ではなく中州。

家の中を歩くと家が揺れる。時に崩れ落ちたりもする。

ソリモエスとリオネグロが交わらずに流れる。ここで泳いだ。深さ60m。

アマゾン河のようにすべてがゆったりと流れていく。

ファミリア(家族というか一族)を大事にする。

子どもたちは人なつっこい。

精力剤でおなじみガラナの実を炒る。

オオオニハス。人は乗れない。

とんでもない宣教師にもらった先住民のポシェットとブレスレット。 この一年前に始めて接触できた部族だという。

鱗のある世界最大の淡水魚、ピラルクの舌とうろこ。
●ブラジル関係の所蔵ビデオ抜粋(左上から右まわり)
「黒い悪魔と白い悪魔」
「アントニオ・ダス・モルテス」
監督:グラウベル・ローシャ
「GAIJIN」
監督:TIZUKA YAMAZAKI

「BAGUNCA」
「インディオとの出会い」
「XINGU」

「エメラルド・フォレスト」
監督:ジョン・ブアマン
「フィツカラルド」
監督:ヴェルナー・ヘルツォーク
「エレンディラ」
原作・シナリオ:ガルシア・マルケス
監督:リュイ・グエッラ



●CONTENTS
はじめに、そして最後に 息子達へ、ブラジルの友へ
サンパウロからレシーフェ
ブラジル・レシーフェ
オリンダ
レシーフェからベレンへ
アマゾン・ベレン
アマゾン・マナウス
アマゾン・サンタレン
ブラジル・リオデジャネイロ
ブラジル・サルバドール
ボリビア
ノルウェー

HOME
文・写真:HAYASHI Moriyuki


●お問い合わせ・取材、原稿依頼・感想などは、contactのページからメールをください。
■CAPINO
ページトップへ
Ads by TOK2