アマゾンのパリと呼ばれるベレン<Belem>
 テムズ川が一年かかって海に流す水量を、たった一日で流してしまう6770キロメートルの大河アマゾン。河口の幅が東京ー名古屋間とほぼ同じで、その間にマラジョー島という九州とほぼ同じ面積の中州を抱えるのが大河アマゾン。その河口にある人工120万人の大都市がベレン。
 マンゴ並木が街を彩り、実が熟す雨期には街中がマンゴの香りで溢れる。子供たちは木の棒と紐でヌンチャクのようなものを作り、高いところにあるマンゴの実に向かって投げつける。運が良ければ、マンゴの実と一緒に落ちてきていいおやつになる。
 港に近い旧市街の古い教会前広場にある高いマンゴの大木には、運の悪いヌンチャクがたくさんぶら下がっている。また、まれに何かの拍子で、樹齢数百年の大木が倒れることがある。運悪く通りかかった車が木と運命を共にする。
 食いしん坊の私は、何を置いてもまずメルカード(市場)に出かける。行くのは、やはり早朝に限る。屈強な男たちが二人がかりで巨大なナマズを担いでいく。古ぼけた絨毯のように折り畳まれたピラルクーの塩漬け、日本では高級観賞魚のアロワナ、名前も分からぬ奇怪な魚たちが所狭しと並べられている。
 先住民が薬用に用いた草根木皮や干したトカゲ、イルカのペニス、サルの干物など怪しげなものたちが不思議な香りを辺り一面に振りまいている。
                  
 灰色味を帯びた群青色の物体が塊となって木箱の底でうごめいている。
「カランゲージョ?」覗き込みながら、私が聞いた。
「スィン、カランゲージョ」
 あせた色のジョギングパンツひとつの少年が、つやつやしたチョコレート色の顔から白い歯を見せて胸を張りながら答えた。
 そうか、これがあの有名なアマゾンの泥蟹か。私はおもわず生唾を飲み込んだ。一緒に港の朝市にやって釆たHさんも、木箱の底でガサゴソと動いている泥蟹を覗き込んで、ぅーむ、いるいると嬉しそうだ。彼はその日系人のペンションにすでに投宿していた28歳の青年で、海外へ旅に出てからもう四年経つということだった。
 タベの話の中で私は、彼が旅に疲れているような気がしていた。好奇心の尽きてしまった旅はつまらないだろうなと内心思ったが、彼もそのことを分かっているのか、来年の春には日本に帰ろうかと思っているんだと言った。
 いっぽう私はといえば、旅はまだ始まったばかりで、オモチャ屋をまるごとプレゼントされた子供のように歓喜と好奇心に満ち満ちており、まだ、私自身に降りかかる旅の重さなどまったく予期せずにいた。

 私たちは、相談して30匹買うことにした。
 少年は、隣にいた彼ょりももっと小さい男の子を呼び、彼の抱えていた何かの粉を入れていたと思われる大きな紙袋をひとつ取り、その中に蟹を一匹ずつ入れ始めた。私たちは蟹を注意深く観察し、つかまれたときに死んでいて動かないものや、どうにも弱って元気のないものは、別の活きのいいのに替えてもらった。そうして30匹の蟹が袋に納まったところで、値段の交渉に入った。彼はすんなりと15パーセントほど引いた。私たちはそれで手を打った。
 袋を抱え、さあ行こうと歩き始めると、セニョール、セニョールと呼び止められた。なんだ、おまけでもくれるのかと振り向くと、そうではないらしい。いつのまにか集まって来ていた何人かの少年たちも含めて、みんな袋を持っていた男の子を指さして口々に何かを訴えている。
 彼は泣き出しそうな顔で我々を見つめていた。
 なんだ、なんだ、なんなんだ。いったい何だというんだ。なんかしたかあ。
「袋のお金がまだだって言ってるみたいだよ」とHさんが言う。
「え?」
「きっと、袋はあの小さい子が売ってて蟹とは別なんだよ」
「あっ、そうか。悪い、悪い。ジスクーピ」
 コカコーラ1本より安い値段だったが、彼にとっては大事なお金であるはずだ。お金を受け取ると、彼の顔にも微笑みが戻った。まわりの少年たちも笑っていた。オブリガード!チャオ、と言って私たちはメルカードを後にした。

ペンションに戻ると、その蟹を使用人に渡した。
 その時ペンションには、二人の使用人がいた。ひとりはオランダという12歳の少女で、私がその家にたどり着いたときに、最初に顔を出したのが彼女だ。オランダは、いわばアマゾン版『おしん』で、ジャングルの中の小さく貧しい村から、なにがしかの金と引き替えにそのペンションに売られてきたのだ。だから彼女には給料というものがない。最小限必要なものはペンションのおばさんが買ってくれる。躾もしてもらえる。賄い付きである。日曜日はお休みである。だからかどうかは知らないが、彼女に暗さは微塵もない。でも家族に会えないのは、やはりさみしいらしい。掃除をしている振りをしながら、こっそりとテレビをつけ、ポルトガル語に吹き替えられたウルトラマンを見るのを楽しみにしていた。
 オランダとウルトラマンごっこをしていて不覚にもオランダの回し蹴りを左手の小指に受け、突き指をしてしまった。鈴木のおばさんは、豚肉を巻いて包帯をしてくれた。これが一番早くきれいに治ると言われた。そのとおりだった。
 以前このペンションに来た男性が体調不良を訴えていた。どこの病院へ行っても良くならないと言う彼に、おばさんは思い当たる節があり、ひまし油を含ませたパンを彼に与えた。すると虫が出てきたそうだ。彼の体は寄生虫にやられていたのだ。アマゾンの魚には99パーセントいるらしいので、刺身で食べるのはよほど注意した方がいいということだ。体中を這い回るものもいるそうで、脳に入ったら終わりだという話も聞いた。
 もう一人の使用人は小柄な二十歳前後の女で、鈴木のおばさんに言わせるとオランダに悪いことを教えるのは、みんな彼女なんだということだった。週末になると派手な口紅を付けて、超ミニスカートで夜の街に出かけていった。

 二人は中庭にあるコンクリートの流しで、蟹を一匹ずつたわしで洗っていた。きれいに洗われた蟹の背は意外なことに真っ白で、鉱物のようにつやつやと輝きを放ち、なにか動く宝石のようでもあった。蟹は大きな鍋で茹でられ、大皿三枚に山盛りとなって昼の食卓に並んだ。鮮やかな紅色に染まった脚がまぶしい。
 私たちは満を持してテーブルについた。幸運にも、そのとき日系人の入植地のひとつであるアカラから一組の夫婦が出てきて投宿しており、彼らも栄光の食卓に着くことができた。
 さあこれから蟹を食べようということになると、なぜか居住まいを正し、きちんと椅子に腰掛け、姿勢を良くし、厳かになる。わあー、蟹だあ、蟹だあと子供のようにはしゃぎたい気持ちはあるのだけれど、あからさまにそれを出すのも大人気ないという日本人的な思いがこんなところで出てしまう。蟹ぐらいでおたおたしてたまるかというわけで余裕を装ったりもする。
 そんなわけで、おもむろに席に着いた四人ではあるが、嘘はつけないものだ。みんな目が潤んでいる。口の端にこらえきれない笑みがある。目の前にはゆで上がったばかりの蟹が大きな山を三つこしらえている。あ〜いい匂いだ。

 昼食は昼食で、ちゃんと用意されているのだが、誰からとはなしに、まず蟹に手が伸びた。甲羅をつかんで蟹を自分の皿に取る。思っていたよりもずっしりと重いのに驚く。
 甲羅をひっくり返し、脚をもぎ取る。歯で噛んでから殻を二つに折る。まず汁をこぽさないようにすすり、身をほじりながら食べる。端から順番に脚をかたずけてゆき、終わったところでハサミに移る。
 動く方のハサミをねじり取り、ついてきた身を歯でしごきながら食べる。その後にできた穴から中に溜ったスープをすする。
「うまい! このつめの中のスープ、味が濃くって最高にうまいですねえ」
 思わずそう叫んでしまった。
 ええ、そうですね、などという声と笑い声が同時にあがるが、みんなの手は決して止まらない。
 臭みがあるかなと思ったんですが、ぜんぜんそんなことないですね。ええ、ちゃんと生きているのを買ってきて泥をちゃんと落として茹でればね。ブラジル人は、これに辛くて酸っぱいモーリョをつけて食べるんですけど、私は日本人だから茹でただけのがいいですね。などなど最初は会話も弾んだのだが、やがて会話はとぎれ、みんなただただ無心に食べるばかりになる。
 噛み、千切り、ほじり、すする。一匹食べ終えると、甘い汁でべとべとの指をなめ、冷たいビールをぐびぐびと幸せものの胃に流し込む。プハーツと息を継ぎ、次の蟹に移る。噛み、千切り、ほじり、すする。その繰り返しが続く。
 至福の時は無言のうちに終わった。五感は味覚だけに集約され、全身の血液は胃に集中している。ぼ−つとした頭でテラスから中庭を見ると、そこだけが陽に照らされて異常に明るく光のハレーションを起こしていた。一瞬、めまいを覚える。今日もベレンは暑い。
 やがて四人はそれぞれに、よろよろと自分の昼寝場所を求めて散っていった。中庭では甲羅の長さが四十センチはある陸亀が交尾をしていて、ガツーン、ガツーンという鈍い音でゆっくりとしたリズムを刻んでいた。この暑いのにご苦労なことだ。部屋に戻ろうとすると、床下に黒い物体が逃げ込む。覗くと、手のひらぐらいのタランチュラがいた。私は陸亀の交尾の音を子守歌にいつしか眠りについた。

 ベレンの午後、街にはタカカの屋台がでる。これが不思議な食べ物で、有毒マニオクの汁を煮詰めて唐辛子を漬け込んだトゥクピを入れて煮込んだマンジョーカのくず湯のスープに、干し蝦とジャンブーという葉っぱが入っているものだが、この葉っぱを食べると舌はもちろん、口の中全てがジーンとしびれるのだ。
 この感覚は他に比べられるものがないので、一度食べてみないと想像がつかないだろうと思う。敢えて言えば山椒の生の実をかじったのに似ている。そのしびれ感が妙に後引きで癖になる。なんとも不思議で魅力的なスープだ。必ずクイヤという丸い実をくり抜いて黒く塗った器で供されるのも特徴だ。
 ベレンにはもう一つ、マニソバという料理がある。連れはワニソバと聞き間違えて、ワニが入った蕎麦と思ったらしいが、そうではない。マニオクの新芽を3日間、葉っぱなら1週間、どろどろになるまで煮込んで、牛の髄や舌、豚の頭や腸詰め、ニンニク、タマネギ、香辛料を入れてぐつぐつと煮込んだものだ。
 緑色のカレーといったところだ。これをカレーのようにご飯にかけて食らう。この上なくこってりして美味い。アマゾン版のフェイジョアーダだと思えばよい。これがまたものすごく精が付く料理で、一皿でアマゾン河を泳いで渡れそうなほどである。
 また、ベレンはアイスクリームのメッカで、アマゾンの新鮮な果実を使ったものが100種類以上ある。特にアサイ椰子の熟した実を使ったものは、ベレンの人たちの大好物で、アサイの季節になるとみんなこぞって食べる。濃い赤紫色で、見た目は小豆アイスのようだが、椰子の油のせいで、はるかにこってりしている。子どもも女性達もお歯黒のように歯を染めながらアサイ椰子のジュースやアイスにかぶりつく。
 ベレンのアイスはどれもおいしいのだが、中にはものすごいものもある。 私の一押しはムルシ。食べるとおいしいのだけれど、息を吐くと雑巾を絞った匂いがする、ものすごいアイスだ。
 何でも食べる私だが、腐った木の穴に住む、長い鼻水のようなどろどろのミミズはごめんなさいだ。もっともアマゾンでもそれを食べるのは、漁師ぐらいで、街の人間はそんなものは食べない。でも、今度は挑戦してみようかな…。

 私が滞在していたペンションで、日系人の入植地のひとつであるアカラ在住のHさんと知り合いになった。結婚するんだけど披露宴に来ないかと言われた。アカラまでは途中まで車に乗せてもらい、ジャングルの中のバス停に降ろしてもらった。
 バスはちょうどアカラの町で祭りがあるとかで混雑しており、私は中程に立つしかなかった。このバスの運転というのが信じがたいものだった。道路は一応アスファルトで舗装されているのだが、轍の部分には所々に大きな穴が空いていて走れない。バスは中央の穴のないところとジャングルよりの低い路肩に車輪を置いて、斜めになったまま走るのだ。
 しかも運転手は隣に座ったプータ(娼婦)とおしゃべりをしながら時速80キロ以上で飛ばしていく。ブラジル人の乗客からも冗談じゃ無いぜと声が出たほどだ。生きた心地がしなかった。
 フェリー乗り場でバスを降ろされる。川面はジャングルを焼く煙で覆われていて焦げ臭い匂いが一面に漂う。ここで、Wさんという日系人の人が、私も披露宴のために帰ってきた。泊まるところが決まっていないなら家に来ないかというので行くことにする。
 なによりここであのクレイジーなバスを降りられるのが嬉しい。喜んで彼の好意を受けることにした。それが間違いだったことは、そのときはまだ知らなかった。Wさんの年代物のシボレーのピックアップには、同じ入植地のトメアスからOさんという日系人の移民の中では知らない人のいない、伝説のおじいさんが乗っていた。
 彼は戦後、ピメンタ(胡椒)で莫大な富を得た。昭和30年代に凱旋帰国をしたときは、夫婦で毛皮のコートを着て羽田空港のタラップを下りた。そして、銀座の三越で好きなだけ買い物をしたそうだ。私の横に座る寡黙な温厚そうな老人からは、そんな派手な物語は想像できなかった。
 ジャングルは、アップダウンの激しい道路の連続だ。もちろんダートだ。100メートル登ったかと思うと、一気に100メートル下る。その繰り返しだ。しかも対向車があると、すれ違った瞬間お互いの砂煙で3秒間ほど視界がまったく無くなるのだ。ある下り坂を時速100キロ位で走り降りていると谷底に、道路を横断する豚の一群が見えた。このまま行くとぶつかるのは必至だったが、まあブレーキをかければ間に合うなと思っていると、車はそのままのスピードで豚の列につっこんだ。ドーンという衝撃とともに一頭の豚が空を飛んで後方に消えていった。
 いやーっ、前ブレーキが利かないんだよ、この車。あれ丸焼きにすると美味いんだよなあと、WさんはOさんに話しかけているではないか。
 やれやれ。

 Wさんの家で夕食をごちそうになり、Oじいさんのリクエストで「水戸黄門」と「おしん」を見る。水戸黄門の主題歌が、漆黒のジャングルに消えていく。
 夜になるとWさんのある一部屋に、ノイズでほとんど見えない小さなテレビがつけられる。開け放たれた窓に、周りの小屋に住む使用人の若者や子供たちが、リオの金持ちのドラマを見に集まって来る。まるで街頭テレビに群がった、昔の日本のようだ。
 朝、小学校の校庭ほどもあるWさんの庭でベンチに座ってボーっとしていると、飼い犬たちがいっせいに吠えながら庭の角に向かって走っていった。何だろうと思っていると何頭もの裸馬がジャングルの小道から現れた。犬は相変わらず馬の周りで吠えたてているけれども、馬たちは少しも気にも留めずに草をはみだした。しばらくすると犬も静かになり、庭はまたいつもの静寂に包まれた。

 Hさんの披露宴は、小学校の体育館で行われた。中は日本の保育園のようにリボンで飾られ、テーブルの上には、シュラスコなどのブラジル料理と海苔巻きのような日本料理が仲良く並んだ。挨拶や式はあっという間に終わり、あとは飲めや歌えや、お決まりのカラオケも始まった。私は、アカラ婦人会の面々に呼びつけられ、いや呼ばれ、「思い出の渚」を歌った。派手な演出も派手さもなかったけれど、なんだかしみじみと心に浸みる結婚披露宴だった。
 その日はYさんの家に泊めてもらった。Yさんの家には、披露宴帰りの男達が集まり朝までトランプ博打をやっていた。しこたまビールとピンガを飲んで、夜トイレに行こうとすると外だという。懐中電灯を借りて真っ暗な庭をうろうろしていると、二階の窓から奥さんが顔を出してケラケラ笑いながら、あっちあっちと指さしてくれた。板張りの掘っ建て小屋に入ると四角い穴が空いていた。懐かしいトイレだ。用を足すと脇に置いてあった少年チャンピオンを破ってもんでからお尻を吹いた。
 翌日おじいさんに豚小屋を案内してもらう。種豚の睾丸がバスケットボールぐらいあるのにぶったまげた。昼食に豚の角煮をゴロゴロのせた肉うどんをごちそうになる。上品ではないかもしれないが、日本のブランド豚が逃げ出しそうな力のある味の濃い美味い豚肉だった。
 昼からまた新郎の家で宴会が始まった。それぞれのすさまじい、時に滑稽な武勇伝がたくさん聞けた。
 新郎のHさんが、豆を積んでアマゾンからサンパウロまで走ったときのことだ。ある幹線道路で山賊に襲われた。命は奪わないから積み荷を全部置いて行けということだった。よくよく話を聞いてみると、小さな村の村長で、干ばつが何年も続いて食べるものが何もないので止むに止まれずやったということだった。なんと村ぐるみの犯行だった。不憫に思ったHさんは、積み荷を全部彼らにあげてきたそうだ。
 したたか飲んでハンモックで寝ていると、バイクのクラクションを鳴らしっぱなしにしたように、切れ目なく鳴く蝉の声が子守歌代わりになった。

 ベレンへの帰りは、ハンモックを借りて船で帰った。途中小さな小さな桟橋で船が止まった。女性が三人降りた。ひとりは赤ん坊を抱いていた。四人は小さなろうそくを手に、真っ暗なジャングルの中へ消えていった。2時間ほどしてジャングルの影も見えない広い河に出た。アマゾン本流だ。しばらくして遠い水面に夜光虫のように光る明かりが見えた。やがて明かりはベレンの街明かりだと分かるまでになる。クリスマスのイルミネーションが懐かしい。
 時計を見るとまだ夜中の2時だ。港やこのあたり旧市街は治安が良くない。降りていく人もいたが、朝までここで眠ることにした。目覚めると既にほとんどの乗客は下船していた。乾期だったので桟橋ははるか上にあった。寝ぼけ眼で船の屋根に登り、桟橋に移ると、板が一つおきに無い。落ちたら下まで5メートルはある川面にドブンだ。おまけに桟橋はなぜか途中で切れていて、3メートル先の向こう側とは30センチ幅の板が渡してあるだけだ。起き抜けの頭に活を入れてやっとの思いで渡りきった。

 元妻と行ったときは、グアジャラ湾に面したカステロ要塞の中にあるシルクロ・ミリターという有名なレストランに行った。アマゾンのナマズや蟹の名物料理が食べられる。二人がテーブルに付くと、5人ぐらいがお世話をしてくれる。王様になった気分だった。二人だけの生バンドが付いたが、ちゃんと曲をマスターしていないようで、度々とちったのはご愛敬だ。
 彼女はナマズ料理がいたく気に入ったようだった。アマゾンのナマズはきれいな白身で、コクがあり臭みは全くない。炭火でじっくりとソテーしたり、ココナッツミルクで煮込んだりした料理はどれも美味しい。蟹をすりつぶしたスープも絶品だった。ただデザートのケーキは、どれも口が曲がるほど甘い。それはアマゾンの完熟した果実の甘さが基準になっているからなのだ。

 私が海外にに興味を持ったきっかけは、ブラジルに移民した叔父の存在と、1959年12月13日から1990年9月30日にかけて約30年の間TBS系で毎週日曜日朝に放映された紀行番組「兼高かおる世界の旅」だった。まだ海外旅行が珍しく高嶺の花の時代だった。そして、私がアマゾンに強い興味を持ったすばらしい番組があった。1966年10月9日から1990年9月16日まで、1000回の放送を重ねた「すばらしい世界旅行」だ。プロデューサーは、日本テレビのドキュメンタリー番組を手がけてきた故牛山純一氏。そのねばり強い取材は、圧倒されるものがあった。特にアマゾン特集は欠かさず観た記憶がある。いつしか私は、アマゾンに遊ぶ自分を思い描くようになった。
 そして、もうひとつ忘れてはならないのが開高健の「オーパ!」である。仕事を始めて自分の力でアマゾンに行けることが現実味を帯びてきた頃から、私はアマゾンに関する神田の古書店街に足を運び、アマゾンに関する書物を買い集め始めた。
 その一部を記してみよう。「アマゾン河」神田錬蔵:中公新書、「アンデスを越えた日本人」向一陽:中公新書、「全アマゾン下り」ジョー・ケイン:心交社、「アマゾン探検記」伊沢絋生、「裸族ガビオン」杉山吉良:光文社、「未知の裸族ラピチ」飯山達雄:朝日新聞社、「ナパニュマ」エレナ・ヴァレロ:早川書房、「悲しき熱帯」レヴィ・ストロース:中央公論社、「ブラジルの記憶」川田順造:NTT出版、「熱帯の自然」A・R・ウォレス、「輝ける碧き空の下で」北杜夫:新潮社、「パンタレオン大尉と女たち」M・バルガス・リョサ:新潮社、「百年の孤独」G・ガルシア・マルケスなどなど。今では絶版となり入手困難な書物も含まれている。




学校帰りの姉妹かな。親子かな。


船でランチ。ファリーニャとペイシェ。

突然のスコール。

サンダルの花。

マシシ、シンシン、トマテ、バタタ、セボリーニャ。

レコードショップのサンドイッチマン。

メルカード。ナマズやアロワナ、ピラルク。

街頭のドーナッツショップ。

ピラルクの塩漬け。後ろは海ではなくアマゾン河。

アマゾンの子供も、おしゃまでお洒落。

マンゴの木陰で…。

いつまでもおしゃべり。

みんなお洒落。

アマゾナス予備軍もお洒落。


■アマゾントラベルサービス
アマゾン・ベレンのことをもっと知りたい方は、どうぞ。
いきなりアマゾンに飛びます。タカカやマニソバの詳しい情報や、ベレンの観光情報が得られ、気分はもうアマゾン。

■Amazon Fishing
幻の巨大魚・ピラルクも釣れる! ピーコックバス、ドラードなど、グランデ小 川氏の「アマゾン・フィッシング」。
アマゾンの自然、先史文化、神話や伝説、ブラジルの化石、アマゾン料理などの「新ミステリアス・アマゾン」も秀逸です。リンク集も楽しい。




 ■アマゾン旅行、イラストルポ
 「アマゾン絵日記1」「アマゾン絵日記2」「アマゾン絵日記3


●CONTENTS
はじめに、そして最後に 息子達へ、ブラジルの友へ
サンパウロからレシーフェ
ブラジル・レシーフェ
オリンダ
レシーフェからベレンへ
アマゾン・ベレン
アマゾン・マナウス
アマゾン・サンタレン
ブラジル・リオデジャネイロ
ブラジル・サルバドール
ボリビア
ノルウェー

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文・写真:HAYASHI Moriyuki


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