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Leica ..Sorry. Japanese only.
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■私のライカ■
ライカ...なんていい響き。なんかのコマーシャルで浜崎あゆみに言われると凄く違和感あったけど...(^o^;)
ライツ(Leitz)社のCameraなので略して「Leica」...本当ですってば(^o^;)
 
私が持っていたのは、Leica IIIf Black Dial Selftimer無しモデルです。エルマー5cm/f3.5付でした。
Leica IIIfの製造は1950-1957年。このモデルから初めてシンクロ接点が搭載されました。
このモデルは「バルナック型ライカの完成形」と言われています。
このカメラのシリアル533819から製造年は1950〜51年と思われます。既に50才を越えています。
後に、ヤフオクで買い値とほぼ同額で手放しました。(ToT)/~

ライカIIIf エルマー5cm/f3.5付

■バルナック型ライカの購入■
このライカは1999年に東銀座の中古カメラ店で購入しました。
購入時はライカについてはド素人だった上、人生始まって以来の小金持ち(^o^;)だったので、ほとんどワケもわからず物欲に身を任せて購入(^o^;)。
喜び勇んで使ってみたら、何故か心霊写真のようなモヤモヤが写る。
凄いぞライカッ!さすが舶来品!誰にでも簡単に心霊写真がぁ〜...って、 へ(^o^;) おいおい。
 
良く見るとシャッター幕に画用紙を細く巻いてから伸ばした時のような巻きジワとヒビがある。
どうやら、ヒビ割れたシャッター幕から光が漏れてフィルムが感光(-_-;)してしまうという事らしい。
すぐにクレーマーと化してシャッター幕交換してもらいました。
でも絶対にそうなってるのを知っていたと思うよ。店は。普通。プロだもんな〜。
バルナック型ライカのシャッター幕は「ゴム引きの布」である為、シャッター幕は消耗品です。これから購入する方は御注意ください。
こちらからは何も言わなかったのですが、この修理の時に前面シャッターダイアルの内側のグッタペルカ(表面の黒い皮のようなもの)が剥がれていたのも修復してありました。ありがとう。
店はさておき修理業者は良心的だったようです。
 
■ライカIIIfの使い方■

カメラの前面上部を見てみましょう。2つの丸い窓が距離計の窓です。その間の四角い窓がファインダー窓です。エルマーは「沈胴式」と呼ばれる機構で、使わない時はこの写真のように鏡胴をボディ内に押し込んでおく事が出来、コンパクトで持歩きに便利です。

背面の黒い楕円状リングの中にある左側の小さな距離計窓を覗き、フォーカスリングを廻して前面距離計窓から得られた2重像が一つになればフォーカスが合います。ファインダーは右側窓です。非常に小さくて覗きにくいです。(^o^;) そのさらに右側の丸いものはシンクロ接点です。

美しい軍艦部。左からシャッターダイアル、中央下シャッターボタン、中央上リワインドレバー、それからフィルム巻上ノブです。シャッターダイアルの下部に刻んである数値は現用機には無い機能で、シャッター幕に対するシンクロ接点動作のタイミングを設定するダイアルです。写真ではゼロに設定してあります。フィルム巻上ノブの上部の2つの赤い透明窓は手動で設定するフィルム感度表示です。下部にはフィルムカウンター表示があり巻上に連動して自動更新されます。シャッタースピードは、B,1/1000,500,200,100,60,40,30。シャッターダイアルはロックされており、引っ張り上げてロック解除してから廻して設定します。

これ以下のシャッタースピードは前面のダイアルで設定し、1/20,15,10,4,2,1そしてTがあります。フィルム巻上/シャッターチャージは左写真にある矢印の向きを見ても判るようにフィルム巻上ノブを時計方向に廻して行います。現在一般的な一眼レフ等(反時計廻り)とは廻す方向が逆になります。軍艦部のデザインなどIIIfはライカの中でも一番絵になるカメラらしいカメラだと思います。

レンズマウント内部です。内部の上端にあるローラー状のものがフォーカスリングの回転に応じて前後へ移動し、距離計を連動させます。このライカのシャッター幕はとても綺麗です(^o^;)。

ボディ下面です。畳んであるつまみを起こして廻すと下面パネル全体が外れますので、ここからフィルムを装填します。最近のカメラで言うとAPSカメラに近い入れ方です。ボディ裏側のパネルがパカッと開く現在のカメラとは異なりアクセスが難しいです。もちろんAPSカメラのようにスプロケットへの巻き込みを自動ではやってくれませんから、自分でスプロケットに巻き込んでから装填するのです。しかし、これも慣れてくると一つの儀式として愉しめるようになります。

■バルナック型ライカのウンチク■
ライカほど蘊蓄を語れるカメラメーカーも他にありません。
バルナック型ライカとは
このタイプのカメラはライツ社の技術者オスカー・バルナックが1913年に初めて製作したので「バルナック型ライカ」と呼ばれており、現在主流の35mmフィルムカメラでは当たり前になっているカメラの基本形態を確立し、写真の歴史に大きな影響を与えました。
 
それまでは「カメラ」と言えば、現在では写真館にしか無いような大きな箱型で、これまた大きな乾板という板状の感光板に撮影するものでした。当時、カメラが携帯可能になったという事は現在の携帯電話の普及に匹敵するような大きなパラダイムの変化だったと思われます。
 
35mmフィルムというのは元々映画用に使用されていたもの(ヒトコマ18×24mm縦巻)をオスカー・バルナックの発案で2倍のコマサイズ(24×36mm横巻)とし、写真に転用したもので当初は何百メートルもある長い映画用フィルムから暗室で必要なだけ切り出して装填していました。これは大変に面倒な作業でしかも映画用フィルムは一般には入手困難なものでしたが、後にコダック社が現在では当たり前になっているパトローネ入りフィルムを発売してからは爆発的に普及しました。
 
また36枚という半端な枚数は小柄だったオスカー・バルナックがフィルムを両手で拡げて全部観られる長さ(165cm=彼の身長と同じ)と言う事で採用されたそうです。
 
もし、バルナック型ライカが無かったら写真の歴史は変わっていたでしょう。
しかし、1954年の銘器「ライカM3」の登場により、その後しばらくしてバルナック型ライカは生産終了しました。
 
現用カメラに残るバルナック型ライカの影響
1. 35mmロールフィルム使用(横巻)で24×36mm(ライカ判)のフィルムフォーマット。-Ur Leicaから-
2. マガジン(パトローネ)に入った36枚撮りフィルムを順次巻取りながら撮影後、マガジンに巻戻して取り出す。-Leica I(A)から-
3. 目の高さにカメラを構え、ファインダーを覗き込んで撮影する。-Ur Leicaから-
4. 横長ボディーの真ん中やや左寄りにレンズがあり両手で保持。-Ur Leicaから-
5. シャッターチャージが同時に行われるボディー右上面のフィルム巻上ノブと右人差指シャッター。-Ur Leicaから-
6. フォーカルプレーンシャッター。-Leica I(A)から-
7. フォーカス連動距離計。-Leica IIから-
8. アクセサリーシュー(ボディ上面にあるストロボ等を装着するところ)の標準化。-Ur Leicaから-
9. レンズマウントの標準化(Lマウント)による交換レンズの装着。-Leica I(c)から-
 
以上の事から、その後のほとんどのカメラは「ライカのパクリでしか無い」という事になります。
「世の中には2種類のカメラしか無い。ライカとライカ以外のカメラだ。」とまで言われる所以です。
 
ライツ(Leitz)社
1849年カール・ケルナー (Carl Kellner 1826-1855) がドイツのWetzlar(ウェッツェラー)でOptical Instituteという顕微鏡メーカーを創業。ケルナーの死後しばらくしてオーナーとなったエルンスト・ライツ一世が自身の名前を社名とする。
第2次大戦中、このライツ社は重要な軍事生産施設だったにもかかわらず一切、連合軍の爆撃を受けませんでした。米軍の将官の中に「ライカマニア」がおり、爆撃を許可しなかったから..と言われています。そのため戦後すぐにライツ社は生産を再開する事が出来ました。
 
■バルナック型ライカにおける重要なモデル■
Ur Leica (ウル・ライカ)
1913年製造、オスカー・バルナックの手になる最初の試作品。当時、彼が担当していた映画撮影用カメラの露出計として製作された。そのため、絞りは可変だったものの映画撮影カメラと同様にシャッタースピードは1/40秒に固定されていた。その後、第一次大戦となり製品として日の目を観る事は無かった。ライツ社に1台だけ現存している。
1923-1925年にかけてヌル・ライカまたは0(ゼロ)型とも呼ばれている試作品が31台製作されていたようです。つい最近もヌル・ライカの復刻版が発売されていました。
Leica I(A)
1925-1936年製造。フォーカルプレーンシャッター、36枚撮りマガジン、50mm標準レンズ採用。この型はレンズ交換できないので、搭載レンズの違いによりさらに細かく分類される。1925年ライプチヒで開催されたフォトキナ(世界映像見本市)で発表された初期型(Anastigmat)はわずか150台だけ製造されました。現在の市場価格は300万円。
ドイツではI型、日本ではA型(カッコ内)と呼ぶようです。型名の標記は以下同様です。
Leica I(c)
1930-1933年製造。Lマウント(口径39mm、ピッチ1mm、フランジバック28.8mm)採用。広角35mm、標準50mm、望遠135mmの交換レンズも発売された。後に、Nikon等の日本メーカーもLマウントのレンズを発売した。
Leica II(DII)
1932-1948年製造。フォーカス連動距離計搭載。

  ■極限状況におけるバルナック型ライカ■

従軍カメラマンの身代わりに銃弾を受けたライカ

アルプスの氷河に40年以上埋もれていたライカ。オーナーの消息は不明。

  ■バルナック型ライカ産みの親■

エルンスト・ライツ一世(Ernst Leitz I) 1843-1920
1865年にライツ社の前身Optical Instituteへ入社。
1868年にはオーナーとなりライツ社を経営する事となる。

オスカー・バルナック(Oskar Barnack) 1879-1936
1911年に名門ツアイス社から引き抜かれライツ社へ入社。
歴史的銘器バルナック型ライカを製作する事により歴史に名を残す。


(注意)Leica Vfの「V」等のローマ数字は「機種依存文字」でありMacintoshで観ると「(企)」になりますので使っておりません。
Windowsユーザで、Webページを持たれている方は今後は使用しないよう御注意ください。

 
このページの情報は今は亡きCS放送のVaio netで放映していた「ダンディズム博物館」等からも引用/編集しました。
面白い番組だったのですが全部は観ていないのでどこかの局で再放送してくれると有り難いのですが...
 
2003.09.12追加
現在So-netチャンネル(Vaio netと同じ749チャンネル)にて「ダンディズム博物館」は放映中です。
カメラ編をようやく全て観る事ができました。下表の全6編です。
No Title 内容
#1 Barnack Leica バルナックライカ 35ミリカメラの原点
#2 Zeiss Ikon ツアイスイコン ライカのライバル
#3 M type Leica M型ライカ ファインダー付きカメラの完成形
#4 Rollei ローライ 2眼レフの雄
#5 Japanese 日本 一眼レフによる世界制覇
#6 Others その他 実験的カメラの数々<ステレオ、パノラマ、速写...etc>

 
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